啓 示
近来キl)スト新聞やクリスチャン新開の論説に,いわゆる福薯派かリベ
ラルか、という問題が取上げられている。これらの論争をもっと客観的な
立場から見たらどうなるであろうか。
始め把神は青森するという仮定のもとに出発するとすれば、先づ閏題匿
なるのほ神の啓示とは何かという串であろうo 僻轟を普通に分類すると三
つi/こなるo ^第–宜一般啓示としては、神の創造托なるとされる自然界を通
し1㌦酢:/lれる神の声であるo 神は万物を作られて、その中把入閥も置摘ゝれ
た。納ま万物を艶麗された時,すべてを雑然と作られたのではないようで
あるっ jLl物の醐鋸ま夫々{;jM狛郡をJ!榛と言おうか、或る法則のようなものが
ある, ∴損ま神の堅なるご性贋をあらわしている()そしてその法師よ全体
としては人間の考えの及ぶような単純なものではない。しかし個々の事柄
搾りいて考えると,それらの聞紅は割合簡単な関係があり、それは概念的
に入関が理解獅来る。又これらの偶係は総合することも出来るし、分析す
ることも出来る号ゝ そLて全体として美しい調和の車把ある。このことは自
然的守・flき汁で軋登らず、自然の車把生きる生物、人間の間の思考の範囲に-‘鼻も2号も轟痔様な碑が言えると思われる。
萄L,ほ時制滞示とされている聖書のみ言集である。神は万物を作られた
か書嘗裁許tttl:.1る万物だけが神のすべてでない一剰ま明らかであろうo坤
等皐葦帝蜜韓でヂきり.=砂の次元は、敵遣物である万物よりも史に高いと考えら– i ・-
れるo簡単のために-一一例として、万物を2次元の世界とし、神の世界を史
に-段高い3次元とするならは,この3次元上のすべての状態を2次元の
平面の状態だけから推しはかる事は出来ない。しかし若し3次元上のある一
点の2次元平面-の投影が与えられゝは、これからその近傍の状態は推測
することが出来るC聖童はこれらの3次元世界の各点の状況を示している
と考えれば、罪托よって目が見えなくなった人間に対して神は、聖酉とい
う啓示を通Lて神の団の舜理の賓所要所を人間に示されたものと考えるこ
とが出来る。望輩は神の真理を示すものだから、人間世界の2次元の知識
をもろてすべてを理解する尊は出来ないo
Lかし聖書の要所要所の貴殿は人間の知識を適切L:lrL運用する事によって
理解する串は可能であり、両者は本署的匪矛欝するものではない、只注意
すべきはこの人閏の偶々の,gii論を無限に延長しても決して神の索理に合致
するものではないということであるo聖貴匪示される蕃示を理解しようと
して合郵晦紅組窪てられた蔑つかの神学、即ちスコラ学や理神論、それに
自由主義神学や合理主義{プ摘草が長持日放上目.一二卜,}1- -)上のは多くこの潰り
を犯したためと思われる。
次に聖醤のみ言葉を研究す,11言「て∴量,Jit.jlJ・やすい宰…lJJ湖上一つは無条件控
三・ . 分条件と塙るな畑ま.、聖浩鮮汗昌ま大変窮屈となり、且つ聖書のみ言基か お互いに斉藤再へるという串態が起{jかねない。 i逆は必ずしも童ではない盲 という事実は奇しくも今世紀の電子工学上の最大の発見と貰われる半量捗 の性質がよくこれを象徴している。 次に第三の啓示は直接啓示と言われるものである。聖書によれは旧約の 時代酎ま神の使いや神の直接の尊びきによって行動した事が畜かれている が、現在そのようなはっきりした導びきはない。しかし聖霊紅よる尊びき は聖宙の約束のとおり把現在もたえず我々の上匪臨んでいるわけで、それ { は多く前述の二つの啓示を仲介として働らくが、しかしそれ以外把もそれ らと関係なく、しかも異常な物理的現象を供なって働らく肇があるo 例え 一一2– p-1 3 if錦舟をLて折っていたら突然光明を得たとか、静寂の車で星のひらめき 東経托黙示恕受けたとか、聖書の車にも我々の通常知識の飽解を適えた聖 儲経験の記述はある。しかしそのような物郵句異変を供なわなくても、倍 鞘の先輩の浦へ相談に行っている時に突然の暗示を受けたとか、伝道会の l艶歌から日払ずしも麿接み言薬からではなく)或いは信徒のあかしが引金 となってiL蟻、をするとか,これらもそこに働らかれたのか神であると考え ればr机左の朽示と言ってもさしつかえないのではなかろうかo Lかしここで注意を繋するのは聖霊は「イエスをキリストと告白する霊」 (王コリント12-3)だということである.入間は弱いので油断をすれば 直ぐ色々な霊の支配を受けるo超自然的な機力を得たからと言って必ずし も聖霊による神からの尊びきとはかざらないo ここで必要な事はその尊び きを型番2ir.示された櫓報匪閏う車であるo 自分の受けた楠報を苗yiT.聖ききか らの構成托てらし合せて確かめながら進む時正しい行動を自信を持って推 進させることが柑来るC これは奇しくも今鱒紀に於ける棉密工学上の大発 見フィーー–・ドパックの理論とよく視ている。 この三つの堺示把ついて矛研なく再動するという事は天国に於てなら可 能であろうが、こ,jj世に放ては神々国雄であるo 油断をすれば直ぐ落入り やすいのは何と言っても我々に理解しやすい自然界から来るものであろう。 そして聖顔によるならはサタンは今やこの世に君臨しているというのだか ら闇題が起りやすいo次匿印酢物の形で我々の与えられている聖覇である が.之も印刷された文字把園執するならは硬直して適用不要になるおそれ がある。だからと言って聖封のみ言藁をあまり霊的に解釈すると「宜教」 J)琉念が酢IiiLて聖朗はどこを読んでも同じことを言っているという事に なりかねない砂 回れ匿Lてもこの三者を適して我々にiELい尊びきを与え fhを’きるのはその場その場に於て働らく聖盛のお働らきという事匪なる。 凝汚麻、 Ijp-~-:,,:)ルを通じて聖書研究のあり方匪ついては慎重を薯するこ と 琶-ある。 一・- 3 -A-. 希 韓国を訪問して 矢円部 稔 (S師津) 韓国OUCの拍瀞を受け本年4月27日から5月2日までの6日間、韓国 を旅行したので見聞したこと及び所見を申しあげたい。 その所に,私自身のこと、 OUCのこと、私が韓国OUCから招請を受 ける把至った経緯などを申しておかなければならないo 私は防大学生時代にキリスト教(プロテスタント)把入信して以来、自 縛官の信仰や教会と自葡隊の縄孫などの軌題につい、て2.3,早場あれこれと 考え続けてきた者であり.巨幹部学校記串」昭融一,を招fAfL.51i・号に二も勘家5J-Cお けるチャプレン(宗教委員)制鑑について小論を発表したこともあった。 昭和34年裾韓海空自衛官(幹日野・士),防大学生等が共に聖班を学 び信仰と交わりを深め各々の使命達成紅寄与することを目的としてプロテ スタントの各教派及びカソl)ヅクを包含したコルネリオ会を発足させたが, これは旧陸海軍の信抑者グル-プの伝統を紡ぎ、また後述する米国及び英 国OtiTCの刺載及び支援を受けたものであった。毒最ま当絹からその一員で ある。 コルネ!)オとは、新的聖讃(197べ–.ジ) 「使徒行穣一j第10帝匪記さ れているが、ユダヤを占領していたロー-マ軍の相成の名であるo ユダヤ人からみればコルネL)牙は憎むべき外周左であり,ユダヤ人盛大 の財産である神信鞘を分かち合うL、な三ノ3,u一秒、、もよミニぬtyとであり、イエ スの筆頭弟子であったペテpも、紋托対する宣教を当初は拒否しようとす るが最後はその誤り匠気づかされてそれを改め,やがて彼らが倍仰の鉦志 として結ばれる経過が書かれている。 キl)スト者自衛官達はこの故事把あやかろうとしたわけであるo OUCの歴史は随分古く、 1851年英国陸軍で生まれたものであるが、 乳二次大戦中の1943年米国で発足して以来急速把各国に広まり、今日で ~ はアジア、アフリカを含む世界各国のキl)スト者陸海空軍人及びその家族 を結合さすものとなっており、おおむね4年ごと把世界大会を撒いている。 ・一一4 ∫-l昨年、米国ヴァージニア州控おいて22簡国から約六百名の軍人及α その家族が集まり葦7回世界大会を澗いたが,私は日本コJ・tt,ネリオ会代演 の-一一人とLてこれに参加し大きな感銘を受けたのであった0-週間続いたこの大会で韓国代表の一人、金斗塵氏と親しくなったわけ である。嗣釦ま、昆老派教会牧師、神学博士、墾軍チャタレン長であり塾 軍中佐であったが、その後大佐に昇進、本年になって退役し養老派教会巡 回牧師に就任された方であるo 韓国OUC陸海墾三軍総会環から招請を受けたのは.同氏を通じてであ った,) .. 諸上司の御願解と御支援把より、私は海外渡航承認をスム-ス把受ける ことができたが、ただその際、近時神大統領とキー)スト教会が対立してい る如く報ぜられていることからこの点把注意するよう指導を受けたことで あった。 特殊な状況下紘ある現在日本の教会人の忠誠は史妃これ妃輪を掛けたよ うなものであり、韓国の教会は神大紙筒に締めつけられ窒息一足手軒のと ころで噛いでいると思っている人が少なくない。 私の結論を先に押すと、それはとんでもない誤解であり、韓国の教会は 突把のびのびと活躍しており、醇把軍隊におけるキリスト教は着実に進展 していると見受けられたo 出発の臼、 4月27日は日航のストのため予定していた航空便が利用で きず、大韓航空枚で釜山まで行きそこから国内線でソウルに到着し麿ち把 タクシ-で旅飴に唇くというjj法をとったので,斡国OC Uが私を驚かす ため私に内緒で準備Lていた次の二つがブイ把なって了った。 それは,栄華なレストランで予定されていた斡団OC U総会良退役海軍 少将坤泰某氏主催の夕食会とそれに引続きYMCA会館毎木曜夜の.定例 OC U焼魚にLh賭して私がスhu-チをすること把なっていたことである. rib t- J 1 も もっとも、レストランでは予約の取消しができない時間となっていたの 千.総会良以下6名が7名分の食事をとったとのことであるo また、 YM ノ C Aでは、 3O名くらいのメンバ-が集まり特に夫人達は遠来の客をもて なすため銘々手作りの御馳走を持参していたとのことであった。 史に、申し訳なかったのは,金斗牌氏と塾軍チャプレンの金中佐,陸軍 チャプレンでOCU総務の温中佐の3名が空港国際線(国内線でなく)で 2時間半も待っていてくれたことであった。そんなことを知らない私は既 に夕食と風呂を終えオンドルのある部屋で寛いでいたo 次の28日は板門店を見学すること托していたが、その出発前に金氏が 旅館まで来てくれたので、前夜の麻末やじ後の詳しい予定などをはじめて 承知することができ,散らの律義さに頭のさがる思いがした次第であったo また、この際、大変多忙なOC U組会長を私が訪問する時間を翌朝、やっ と約束できたと云うので、退役海軍少将は現在どんな桂覇をされているか 質すると水産庁長官とのことであった。 板門店から翻り、金氏の自宅で夕食をいただき、良いチャプレン生活の アルバムを見せてもらったが、その中把を妄空軍士官学校の卒業式において 牧師ガウンを着用した固氏が鋭教しているかたわら把朴大統領夫妻が来賓 として着席されている写鼻もあったo 次の29目は、ソウル駅前.大字ビル18階の水産庁長官妾で申総会良 から私の名商が刻まれた訪韓記念盤をいただいた。 空軍本郵チャプ.レン畏室では、 5名の塾軍チャプレン(プロテスタント 3名,カソljックi名、仏教i名)及び同行の金氏と温中佐の計7名から、 韓国軍隊におけるチャプレンの働き、 OCUの組織と活動、韓国教会と軍 隊との開陳等について親明を聞いたo I 朝鮮戦争勃発後8箇月を経た1951年2月、韓国軍のチャプレンは生ま れたのであったo 現在のチャプレンの総数は陸軍270名、海・杢軍日-F_確–ti- 7 な故は聞きもらしたが)70}-80名である。 梅酢剰塚における精神的分野の殆んどはチャプレンが担梓するo チャプ t!ソ書類汀岬{fj宗教吾車上机上 ごナ、仏教′渠会等)tJ?執窄、はき水位茂の 幣制潜^究招導、籾か,?ンセリング、輔訪閏、 (5撞教講話等を行う。 宗教行舶ま希望者のみが泰肝㌻るが、宗教講話は月1回1時醐程度のも ので仝隊員が参加しなければならない。空軍の本年各月の義教講話テ一一マ ほ、 (i睦子胡1を通じた娼利、は磯牡的率性生活、刷自由を守ること、 (舶巨命 の尊厳性、 (5)幸福の開拓. (6眠主市民の腰憩、刑使命の完遂、潮民族の誇 り、潮隣人愛、 (lO)小さいこと把対する忠薬、 81懐のある人生、 (12)人間射舌 I の反省、となっている。 朴大統領は全軍人に対し「一人一臥」すなわち,各自はいずれかの信仰 を持つことを呼びかけており、チャプレン達は勿論指導官達やOCUメン メ-もその達成把努めているが、現在的63%が信・碑を持つようになって おり、その約80%がキリスト教であるo そのrl r 29日、土曜)の午後1時から、ソウル北方で実戦配備妃つい ている軍25師団の練兵場では,司令押第三部長を等頭把将校2汚名を含 む1527名が集団洗礼を受けること把なっており、軍隊のチャプレン30 名とソウルの永楽畏老派教会朴牧師をはじめ一般の教会の牧師1 0名合計 40名カうちょうどその頃練兵場W.生合中である0 -・僻師団で3千4百名が 集団洗礼を受けた例もある等々の話であった。 日本の塊状と比徴し何と大きな逢いであろう。 同じ地物の中にある墾軍施設乾の舟屋把行く。施設監李准将は空軍OC U会長であるo金紋のはか准将1名、大佐・中佐など合計7-8名が待っ ており、そこで記念品の贈呈を受けた。しばらくのLこん談のうち把土曜日 の藤製終Lrの単著が鳴ると、 3-4台の車把分乗して市内レス[.ランへ行 事.<n連舟公となったo i i 車准将は,日本自袖隊の相神教酉は何に基づいてなされているか、キ.) ji i・熱な巨CJ損侶:.義に,杵統することが可能であるか・とJ質閏していた。 l一一 t 一1-JL ′■▼ g 次の日寺 30日は日曜であるo陸軍本部構内把ある陸軍中央教会のチャ プレン嚢紅行き、チャプレンや陸軍OCtIのメ=/パルとこん談していると 陸軍参謀総長李世鏑大将が私服ではいって来られた03・で挨拶を日日ノあげたつ 闇もなく礼拝がと堅始されたo門型礼拝堂の出摩者は約三汗告.津守報 斗服の兵圭及び私腹の将校とその大人達がほは半々という:_,.こう(1姑ノ札鳥 も射、¢約50名の男女兵士で構成された聖歌隊G説教者を含めこ上告のチ ャプレンがガウン蚤で着席Lた講壇。婦人兵の讃美歌独i翫説教は,陸軍 チャプレン艮異錫用大佐はよる旧約聖醤「班エジプト記」第17牽8 16節をテキストとする「勝利の秘塾と題するものであった。 李大将は牧師の子息であり、毎釧礎の礼拝を陸軍中央教会でされるとの ことo大将の夫人は別の教会の長老で、またOCIJ未入金の会長でもあり、 毎第-日曜は夫妻そろって陸軍中央教会把出席されるとのことであったo 礼拝が終ると同じ陸軍本邦の構内把ある陸軍クラブで陸軍OCU会長主 僻の昼食会が準備されていたo会長の軍医総監・季少将の他妃陸軍中央教 会OCU会良の林准将、大佐5名.中佐2名、金氏と私め合計目名であ った¢ I 席上、韓国OCUの活動の様子を色々と聞かしてもらったが. OCUは チャプレソとよく協力し各種の集会、行事を実施しているとのことであっ た。 話が逆向きとなり日本コルネl)オ会のことを聞かれると苦しい恩いがL たo会員数は予備役を含まず現役のみで約-万名を数える韓国OCUと一 名のチャプレンもいない総員約百名の日本コルネリオ会との差は大きい。 夜は、サポイ・ホテルのL,ストランで海軍OCU会長主催の夕食会に招 かれたo会長の海兵隊参謀長林少将、海軍態兵監金准将、金氏、温中性、 私の5名であった。海軍の本拠地は釜山に近い鎖海はあるのでソウル地区 には人員が少ないとのことである。 . 林少将は若l一、頃から海兵隊の荒くれ武士として名が通り、チャプレンを 織り飛ばしたこともあったそうであるがIb鱈励まチャプレンの導きで倍抑 (/; チ 托入ったとのことである。少将は、海上自衛隊の多くの将官を勧存知であ ′ った。 次の日.五月一日は高遠Jiスで慶州把行き新羅の遺跡を見学し、二郎ま 釜山を出発し帰国の途把ついた。座州ではOCtIのメンバーである海軍浦 項地区蜜兵隊長の海兵中佐が案内をしてくれたo 爵ほ前後するが、日曜日把は前述のOCU関係行事の間把ソウル市内の キ7]スト教会を見て廻った。一番青い( 1 893年創立)膚洞長老沢教会、 礼拝出席呈万人といき最大鼠漠を持っ永楽長老沢教会、カソtjックの代索 である明洞カソ!)ック教会の三箇所であるo 子供連のため毎教会学校が始まる頃;・,・C行った勝而教会では仙人の教会役 員から説明を受けたが、長老などの投負数20 2名。前週日曜..11時から の乳韓出席はま2 9 8名。最近男いとった隣接の土地に近J・k何億円かを投 じて教会教育籍ビルを建設し、将来は礼拝藍も建て番える計画であるとの ことであったo そのほかソウル市内勘ま大小の教会堂が多く、-釜山も同様である。また夜 門店近くや,高速道路沿いの鹿村でも堂々とした教会堂が部落ごとくらい I 紅立っているo総人口3500万のうち仏教ま000万、プロチスタ了ト
50<0万、カソリック100万とのことであるが、キリスト教は来賓的把
韓国社会を支え蒔く社金力となっていると見受けられた。
ソタル市内パコダ公鞠托行くと、日本の親漁把反対し1919年3月王眉この公
館を中心紅全国各地で独立度雷藩が読み上げられ、更疫激しくなった日本官憲
の帝正妃周せず耽った独立連動鹿巻物帝が壁画風彫刻として搾られている.
独立度音字の起草者3 3名のうち1 6名は牧師または教会長老であった
如く.鵜飼独立運動の当初からキリスト教金が大きな役割を果たしたので
あり,また、そのためキt)スト教会の故箸も大きかった。塊打ち托あった
義魚もあった。
農政の舞踊教会も鱒家と激しく対立しており、かつての統治者と戦った-9
Io
ような戦いを続けているので、それを激励し、それと連帯し、あわよくば
そのエネルギーを日本にも分譲してもらおうと云う人がいるが、その語韓
紘,既紅顔輪として申しあげてあるよう把、車乗と大きく宿っているよう
であるo
療 白米合同集金
本年度春の日米合同集金は53・6・iO (土)市ヶ谷会館-階広間把お
いて開催された。
今回の轟会の呂和恵,コルネリオ会員禰宜の親箆のほか控も蓋ミ奉買i・e
転勤される予嚢の在日米軍OCU代襲芯マソン中佐-t-=・rj感謝曇母乳旧海
軍潜承鹿乗組員で戦後献身されて現在質素曇雷神尊敬校長をしておられる
新屋蔑治衛の敏弘および元米国OC U会員で誌責詔書意義ソ沈めをこ鷹京
I
托来ておられるマドック氏夫妻を歓迎するためであったo
そのスケihI-ルほっぎのとお9であった0
14:50 -受付け
15;00-開会、あいさつ く親鳥会長)
t
I
祈 り (千素牧締)
さんび くみよや十字架の) 97f
/
聖 者 マルコ10-42-45・
説∴教 「キi7ストのしもべとして」 (新屋牧師)
きんび く十字架の血把て)日吉
祈 り (ユマソン中佐)
17:50 ~ エマソン中佐-の感謝状贈曳
証 詞 (マドック師、今村兄)
18・’50 - 会 食
19:50- 自己紹介および自由時間
I
20:10- きんび く神とも紅いまして)
20:50- 祈 り 解散-10
//
出席者
日本 武田黄葉会長夫妻(元陸将)、千葉愛爾師(久里浜教会牧師)、
新屋徳治師(日本生者神学校々長).4今村和男兄(防大)、本代稔兄(茂
木)、裾内債槌兄(防研).4森田患債鬼夫妻(敦難航).目良拘兄(空幕)
山口利勝兄(窪寺)、滝原樽見(プログラム管理陳)今井健次兄(防大)
米国 Emer80n中佐夫妻、 Gre8he呈中佐夫妻、 RobiJHOn少佐、
Steel大尉夫妻、 Deisher姉、 fledeen姉、 Madoc元大佐夫妻、
なお、次期在日米国OCtT代表はSteel大尉です。
暮
食 キI)ストのしもぺとして(集金説教要旨)
新屋億漁師
皆さん紅海轟するのは今日が始めてなので、あかしをさして薫きます。
私は戦時中海軍兵学校を卒養してから、潜放免の水音長をやっておりまL
l
た。
ガダルカナル轟の沖で鷹が沈んだ時、多くの水兵連は死にましたが,負
I
分はわずかの傷を受けただけで助けられ,米国軍につかまtj捕虜になりま
した。それでガダルカナルからェま-カレドニヤ把行き、約三年間禰園の
生活をしました。
牲!}よ
日本軍にとって敵の捕虜になることは苑にまさる恥になる事でしたo そ
こで死にたいと思う心がありましたが、それと共紅生きたいという本能も
ありましたo その頃、日本把も来た皐のあるチャプレンが収容所にやって
来て英文の里事や文番を我々に贈ってくれました。始めはキリスト教を日
本の国体托反するものと考えていましたので,とてもそれには親しめなか
った。そして自分の問題、人間の開演に苦しみましたが,その後,段々妊
キIjストが私に爵しかけるよう托なり、やがて十字架の僧仰、神の召しを
考えられ、日本に帰ることが出来たならは伝道者紅なる以外把適はないと
愚!よう把なりました。 1946年2月 LS Tで日本把掃ってから 日本
‘ -11二
1ヱ
壁書神学校紀入りました。卒業してから四年轟田舎の教会で伝道をしまし
たが、その後シカゴのマコミック神学校に入りましたo そこで旧約塁審
の勉強をして1958年帰国してから日本笠寺神学校で教育把当っていま
す。
今一人のクリスチャンとしてどう生きるかについて常に考えている尊を
話したいと思います。
米国把留学していた時、アナポリスの海軍兵学校を見学した尊がありま
す。 そこで意外な事を知りました。それは兵学校の卒業式の時,成壊最
下位の者を皆で胴上げするというのです。この者を AilC如rman といい
ますが、それ以後この青菜が好き紅なりました。このいかり(AnchOT)
から自分はタi)スチャンとして三つの尋を教えられ要す。 いか与は海底
把潔く沈′んで船を守ります。 沈む番を精神的把深く考えることが大切で
す。多くの人があまりに皮相的な事に時を嚢やしすぎる,そうではなく沈
む事が必要だと思います。 この時(詩48-10)の無句の意味がわかり
ますo 次把海底把改むと人々の昌からかくれてしまいます0
倍仰生活ではこのかくれる率が大切だ耳削、まず。それはくマタイ6
!
1-6)紅よります。 またいかりほ-番債い所に位直しております。入
間妊とって低くなる肇、本当の意練の藷適が一番大切だと患います。それ
紘(マルコ10-42-46)の意味を示しております。
食 通 膚
0 日本Ijバイパルクルセード主幹の滝元明敏師からコルネ!)オ会の働ら
きのため托,励ましのお便りを頂きました。 感謝。
○ 横須賀席、日本基督教坪田滞教会の鈴木崇巨牧師から 瀞ましとど挨
・1
拶のお便りを演きました。先生は東京神大ご卒業後、市川市、舞鶴市で
伝道の後、四年間米脅し,教会学の博士号を取り、三年前帰国、現在田-12
J3
線教会で伝適され,横須賀地区でご活躍ですo防衛大学にもお訪ね下さ
れ、伝道の意欲をお持ちですo 感執,
○ 滝原樽見(プpグラム管理隊.3空佐)
「先般のOCU集会、皆様の心からのご支援により,司会の出航が危ぶま
ぶまれな■がらも、無事難破もせず目的地に着くととができました0
.私廟人として、これ把より蛮性が強められ、奉仕教会把おきましても、
太い把参考把なることであり感謝しています.昨年までほ,ただ家族金
員を引きつれて席を牧ためる借着であった私にとり、奉仕の尊さを体験
I
し、その務めの申把蛮性が高められるものであることを,奉仕教会での
働き、今回のOCtJ開催の準備(約2ケ月)および司会役を通して体得
しました。 感謝。」
コルネリオ事務局
(日本OC tJ)
横須賀市建水一丁目 防衛大学校
応物教塵 今井教授気付
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