ニュースレターNo.36(1983年2月)(復刻版)

鎗聖書は無誤か(その1 )
私がキリストの救いを受けてクリスチャンになった頃、ある日M宣教師が私に
質問して「あなたは聖書の一言一句誤りがないと信じますか」と言われた。私は
その時零下に「聖書の記述に全く誤りがないとは信じられません」と答えた。す
るとM師は「救われた立派なク.)スチャンの中にも聖書の一言一句を真理だと信
ずる人と、信じない人とがおります」ということであった。それから二十有余年
その事についてはあまり深く考える機会がなかったが、近年になっていわゆる福
∫音派と言われる人達の中にも完全な無誤性についての論議が出て来たようである。
この事は信仰の面から見てかなり根本的な問題なので検討してみたい。若し我々
の認識を地上のレベルに戻して・人間の基準で聖書を読むならばあそこにもここ
にも納得のいかない部分が出て来て素直に読む事が出来なくなる。しかし我々は
日頃聖書を「神のことば」として読んでいるので我々の思想以上の事柄が出て来
ても、その一つ一つを不思議に思ったりしないでそのまま素直に受入れることが
‘1
出来る。
即ち信仰に関する事柄および聖書に導びかれる生活の面については聖書の主張
をそのまま信じてクリスチャンとしての毎日の行動を律しているわけである。し
かし更に聖書の記述の端々に目を通して見回す時、科学的な問題や歴史的な記述、
つまり地上の事柄に具体的に関連する部分については現実の状態と照らし合せる
時その違いが目について簡単に信じられないという事らしい。-1
2
そこでここでは科学的な記述例へば聖書にある奇跡について考えてみたい。普
通地上では起こらないような事を奇跡と称し、普通の自然法則に従わない事を超
自然という風に呼んでいるが、我々が普通に自然現象と呼んでいるのは多く繰り
返しのきく事柄について言っているわけで、この点を現在の確率統計の考え方に
よ?て検討してみよう。

今砲で或る目標に向って射草をする場合に射弾の散布は普通ガウス分布に従う
といわれる。
即ち例へば100発の弾丸を的に向って射撃すればこれらは全部中心の黒丸に命
中するのではなく、黒丸にはfX)発そして残りは黒丸を中心とした多くの同心円の
中に散布する。そして一部の弾丸は中心からかなり離れた同心円にも当る。そし
て射弾の数が多くなれば外の同心円に当るものの数も増し、かなり離れた所に当
る確率も0ではなくなる。即ち自然現象は種々の条件が重なり合うので非常に複
雑であり単純な理論で計算されるようなきまった点に集中するというものではな
い。即ち始めの予想とは相当違った結果が得られる事もあり、しかもこれは決し
て誤ってそうなるのではなく、そうなるべくしてなるわけである。かなり前に初
期のロケット弾の射撃実験を富士の裾野で実施した事があったが、その時発射し
たある一弾が射方向とは反対の方向に飛んでしまった事があった。これは勿論実
験者としては失敗で,その事故原因の探求に苦労した事があった。しかしこれも
原因があったから、その予想とは反対の方向に飛んだので自然現象としては少し
も不思議ではなく、飛ぶべくして飛んだので只その原因が不明であったわけであ
る。普通に超自然現象と呼ばれる事柄も自然の創造者である神の目から見たら少
しも超自然ではないのかも知れない。只我々が人間の車間である自然科学の目を
基準にして見る時、そのような事柄は到底説明することが出来ず自然科学の分野
からは除外せざるを得ないわけであろう。聖書に出て来る超自然的奇跡を否定又
は肯定出来る程人間の自然科学が発達する事を望み願う事は人間にとって無理か
らぬ事かも知れないが、しかし聖書の記述から見て羊なる神がそれをお許しにな
るとは考えられない。
次によく言われる事に聖書は信仰の大すじに於て無誤であるが文法的な誤り等
{
.∫-2
3
の可能性があるという事である。しかしこれについても次の事が言えるのではな
かろうか。即ち聖書はその当時の人間が使用していた言葉で書かれているのであ
り、その言葉について当時の人は意志疎通のための約束ごととして文法を持ち、
それによって言葉を用いて来た。しかし之は人間の約束であるので人間の考え以
上の考えを伝えようと思えばこの文法では不十分であろう。主なる神が人に啓示
を与えられる場合どうしてこの制約された人間の文法の中にとじ込められなけれ
ばならないのであろうか。神が超文法によって啓示を与えられた時人は平易にそ
れを理解する事が出来なくても聖霊の助けによって神の意を受取る事が出来るの
ではなかろうか。
我々が聖書を信ずるのはその内容を人間の知識で解明出来たからではない。そ
れが神のことばであるならば、たとえ完全に理解出来ない所があってもそのすべ
てを無誤として信ずる事が一番わずらわしさのない明快な方法であり主なる神も
それを良しとされているのかも知れない。
「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、
正しくし、義に導くのに有益である」 (Ⅱテモテ3:16)
徽 キリスト者自衛官の悩み
藤原 正明(元陸1佐)∫
1・今井先生の「平和の道」 (ニュースレター雌33) 「国家防衛論」 Ⅰ..正(滅34、
35′)を、興味深く読ましていただきました。防衛にたずさわるク1)スチャンと
して、科学者として、又海外の人々との広い交りを通して呈示された防衛論は、
斬新で、祈りと指唆に富んだ提案だと思います。特に、核戦争の惨害をSimu
late して公開する案は、核戦力の把撞、 Simulate の内容等について論議
はあるにしても、実行されれば、世界に一大核戦争防止運動が盛上ることが予
想され、人類の平和のため大きな威力を発揮するのではないかと期待されます。

  1. 「力による平和を排して福音による真の平和を』というのが私達の切なる願い
    であり、祈りでもありますが、 Dunlap少佐の言葉に象徴されるように、米韓
    を始め世界は、現実の政策として、力のノミランスによる平和維持を当然のこと-3
    i:::ヨ■
    として、経済的重圧に耐えつつも鋭意努力しています。我が国といえどもその
    枠から抜け出ることができず、平和憲法を維持しつつも、その一翼をになって
    いるめが実情です。つまり、非現実的な非武装中立主義、無抵抗、無暴力主義
    を排して集団安全保障政策を国是とし、自衛隊は正にその力の政策の一環とし
    て存在しています。しかも近時それは、私達の願いにもかかわらず、.米国を始
    め同盟諸国の要求もあって、逐次増加・拡大の傾向にあると思います。
    3.自衛隊員は、防衛の基本方針に従いJ各々のポストにおいて津身の努力を傾注
    するのが当然であり、その間一点の疑問もあってほならないと思います。これ
    が軍の本質であり、又士気の根幹にかかわるものと思います。有事の際戦争目
    的に疑問を持ちつつ、生命を勝しての戦いに全力を発揮することは困難でしょ
    うから。
    自衛隊の一般方針と私達の信仰との相勉・矛盾はあってほしくないし、将来
    万一にも想定される戦いは真に「聖なる戦い」であってほしい。その願いが不
    幸にもいれられない時、志賀兄が心配しておられる「風潮」が生じ、キリスト
    者自衛官の心の痛みが生れます。
    4.遠藤周作氏の小説「女の一生」 ( 2部)に、海軍予備学生となったクリスチ
    ャンの主人公が、大東亜戦争を「聖戦」と認識できず信仰と戦争参加の矛盾に
    悩む。教会の神父、他教会の牧師に救いを求めるが確答が得られず(戦時下の
    多くの教会はこの間題については避けざるを得なかったJ結局「殺すな」との
    聖書の教えについて「殺したものは、自らも死をもって罪をつぐなうべきであ
    る91ということに思いを定めて、特攻として戦死する場面があります。ノンクリス
    チャンでしたが、同じく特攻隊に所属しつつも、別の使命観をもって、自らの
    任務に何らの疑問も持たなかった当時の自分と対比して、感慨なきを得ません。
    5.殉職自衛官合紀裁判を例にとって見ますと、この事件は殉職隊員の顕彰(士
    気高揚のための当然の処置)が、旧軍の伝統を受継いだ護国神社合紀という極
    めて日本的方法で行われ、しかもクリスチャンである未亡人の東諸を得られな
    かった(本人の親兄弟は同意)ことに端を発したものですが、未亡人の所属教
    会の牧師及び日本キリスト教団等が、革新団体と共にこれを支援して、隊友会
    一一-4
    地連(国)を相手として争ったものといえましょう。裁判の判決は御承知のよ
    うな内容でしたが、結果として、この事件の自衛隊関係者は、教会及び教団等
    を反自衛隊団体と目して攻撃すらしています。 ( 57.6.15.隊友)
    靖国神社・各地方の護国神社、忠魂碑等の問題は直接業務に関連のある方も
    あると思います。
    このような自分の所属する(又はかって所属した)~自衛隊と教会・教団との
    相勉・矛盾は、例え一部のものであっても、私達に深い心の痛みを与えずには
    おきません。
    央田部兄は、 「キリスト者自衛官は、二つの山一宗教を避けようとする社会
    と自衛隊を避けようとする教会-の深い谷間に居る』と述べておられますが、
    更にもう一つの山一教会を反自衛隊団体と目しかねない自衛隊 -との
    「三つの山の谷間」と考えるのは思い過ごしでしょうか。
    6・自衛官を去って6年一市民として「もはや戦いのことは学ばない』 (イザ
    ヤ2 : 4 )状態ですが、一般社会においても信仰と相容れない仕事は数限りな
    くあり、むしろ毎日がそれとの斗いであるといえましょう。現職時代に抱いて
    いた疑問と、最近自衛隊を取巻く環境から所見を述べて見ました。恐くこれは
    私の信仰が至らないためで、多くの会員は自分なりの信念を堅持しておられる
    と思います。万一私と同様な痛みを持っている方があるとすれば、コルネリオ
    会は、それら甲内なる問題について痛みを分ち合い、解決し合って行くのも、
    会の一目的の一つではないかと思い、あえて拙文を試みた次第です。
    畿 82年oCF/コルネリオ会合同集会に参加して
    小山田光成(空1尉・航空資料作業隊)
    10月2B日(士)に横田基地のベース・チャペルで、日米のクリスチャ:/合同集
    会があることを滝原兄から紹介された○初めてなので興味と期待を抱きながら参
    加させていただいた。特に、私は前夜から基地内のクリスチャン家庭に泊めても
    らうことにした。 22日の夕方6時頃、福生駅に着いて泊る予定の家へ電話をした
    ら、車で迎えに来てくれた。御夫妻の名前はホアン・7/けネス(Juan Martinez )-5
    とイルマ( Irma)さんで、お互いに自己紹介した。二人共テキサス州出身でメ
    キシコ系米国人であった。小さい時からカトリック教会に行っていたが、 3年前
    に日本に来てからは、プロテスタントの教会に行き、個人的に信仰を強められた
    そうである。その教会は「カルバリー保守バプテスト教会」という名前で、基地
    から4kn程離れたところにあった。私を乗せた車はその教会に着いた。.10人程の
    米国人教会員が歓迎してくれた。各家庭から料理を持ち寄る「ポットラック・パ
    ーティ」 ( potluck)に布かれたのであった。かって私は三沢基地にいた時も、
    このようなパーティに招かれたことがあったので大変懐しく感じた。食事をしな
    がら話し合った。勿論全部英語だった。分からないこともあったが楽しい交りの
    中にも聖書を学ぶことができた。罪とは何か、どうしたら赦されるのかなど熱心
    に話し合われた。この教会のアルバムを見せてもらったら、ミ-コ中佐もこの保
    守バプテスト教会系に属していることが分かった。
    マルチネスさんの住居は基地内の東部地区にあった。 2階建ての長屋だが、広
    々とした部屋であった。隣家に預けていた二人の女の子と会う。 9才のタラウデ
    イア(Claudia) と5才のシーラ(Cira)で美人の奥さんに似た可愛い子供
    だった。家族のアルバムをひろげながら楽しい思い出をきいたり、自分のことを
    話し合った。
    23日(土)は合同集会である。マルチネスさんの車で西部地区のベース・チャ
    ペルへ向う。ランウェイを横断する時、丁度巨大なC-5輸送機が離陸していっ
    た。西のベース・チャペルには我々が最初に着き、集会場をセットしながら待っ
    た。合同集会は10時ごろにミ-コ中佐の司会で自己紹介から始まった。日米はそ
    れぞれ日本語と英語で話したが、堀内2陸佐の巧みな通訳で進められた。参加者
    は5)名位だったろうか、時間の経過するのも忘れ、昼食や証しなどが続いた。米
    人家族の中には日本へ来るのがいやだったが、来てみて良かったとか、神の祝福
    があったと言って喜んでいる人が多かった。つたない私の証しが終ってから、横
    田基地内見学をした。基地破壊消防隊では施設器材の説明を受け、巨大散水車の
    デモまでしていただいた。そして駐機中のC-130、 C-141の機内見学もす
    ることができた。-6
    夕食は基地内レストラン「-シエソダ」 ( Haeienda )やメキttyコ料理をい
    ただき、そこで散会となった。 「ホテル・ニューオオクエ」のガヤデソ・チャペ
    ルで牧会をしているMaddox御夫妻と知り合うことが出来、その後、毎週火曜
    日午後6時半からタワー・ビル8階2813号室の自宅で行われているBible
    elass に参加させていただくようになった。
    私はマルチネスさんの御厚意に甘えて、土曜日の夜も泊めていただいた。彼は
    私と同様に長距離ランナーの一人で、翌日の日曜日は、基地の「ストライダーズ」
    クラブの一員として、芦ノ湖周辺のマラソン大会(20km走)に参加すると言って
    いた。早朝に家を出るというので夜のうちに、お互いに挨拶をし、彼の健闘を祈
    った。
    24日(日)は、奥さんと子供2人私の4人で家の近くの東部地区ベース・チャ
    ペル( 「イースト・チャペル」 )-行った。奥さんはサンデースクールの教師を
    しており、私も見学させてもらった。 10時半からプロテスタントの礼拝が行われ
    出席した。昨日の合同集会に参加した方々にも多数再会した。ここのチャプレン
    (珍しく女性で空軍大尉)からメッセージをきいた。更に、黒人を主としたゴス
    ペル・コワイヤーが力強く手拍子をとりながら賛美し、すぼらしく活気あふれた

    礼拝を体験した。長身で美人のチャプレンから「新来会者はいませんか」という
    呼びかけがあり、挙手すると、私ともう一人の黒人女性だけだった。私はドキド
    キしながら英語で自己紹介したら、チャプレンや多くの教会員から握手を求めら
    れ、全く感謝感数のひとときであった。また来てくれと言われながら、帰宅した。
    私にとってこの3日間は、主イエス・キリストの下にある人々の信仰生活の中
    に浸るすぼらしい日々であった。私自身ふり返ってみると、東京勤務になってか
    ら8年が過ぎた。それは安易な家庭生活と通勤・職場における多忙な日々の明け
    暮れであったようだ。聖書を読むことや教会からも遠ざかっていた。今回の横田
    基地での体験は、空白を一挙に埋めてくれたようだった。眠りから覚めたと言っ
    てもいいだろう。 1週間後、目黒の「St. Amserm’s chasolie Cbureb」 で
    「イースト・チャペル」のゴスペル・コワイヤーによる黒人霊歌コンサートが行
    われた。マルチネス氏からその招待券をいただいていたので喜んで行き、再びあ-7
    の感歎の賛美をきいた。教会員もバス2台で来ており、再会できた。
    私は、信仰生活が弱く細くなっていることに気づかされ、なんとしても生活の
    一部にしようと思い、聖書を読むことから始め、教会や集会にも行くことにした。
    先の「カルバリ保守バプテスト教会」から紹介された「津田招保守バプテスト教
    会」は私の家から近いところにあったので早速行ったo T皮特伝をやっており、
    信仰を強められ、交りを持つことができた。
    ● ●
    ミ-コ中佐のお父さんが、えそという病気のため片足を切断しなければならな
    くなったという悲しいニュースを津田沼教会で知らされた。速やかな回復を会員
    と共に祈った。
    同僚の馬谷兄の紹介で、毎週金曜日午後6時から「お茶の水学生キリスト教会
    館」で行われている一般信徒対象のq Friday Night ,という賛美とメッセージ
    の夕べにも参加するようになった。馬谷兄にはA(addox師宅でのBi-ble Class
    を紹介したら、喜んで参加してくれた○コルネリオ会の先輩である足立兄も来て
    おられ、励まされています。            (57.ll.28記)
    「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と
    慎みとの霊です』 (テモテⅡ 1:7)
    畿 コルネリオ会集会報告
    1.役員会
    日時1982年9月17日(金) 1830-2030
    場所 東京下落合 新屋徳治師宅
    決定事項
    (1)月例会開催について
    (2)日米合同集会について
    (3)祈り
    参会者 滝口、滝原、堀内、志賀、今井の各兄
    2.月例会、役員会 1830-2030-8
    日時19_82年10月8日(金)
    場所 東京下落合 新屋徳治師宅
    実施事項
    (1)聖書研究
    (2)日米合同集会打合せ
    (3)会員の連絡について
    (4)祈り
    参加者 清水、藤原、下乗谷、滝口、滝原、堀内、海野、小山田、今井の各兄
    日米合同修養会(日本OCUと米国OCF)
    日時 1982年10月23日(土)
    場所 米空軍横田基地
    時 間      行 事
    900-1000  受付と交歓
    1000-1200  自己紹介
    場 所
    チ・ヤ ペノレ

    横田米軍基地での日米合同修養会-9
    1200-1 300  昼 食
    1300-1500  あかし会(米3名、日本3名)
    1 5 0 0-1 7 0 0
    1 7 0 0-1 8 3 0
    1 8 30-1 9 3 0
    出席者
    基地内見学
    晩さん会
    お別れ交歓
    チャペル

    基地内
    レストランHaeienda

    日本側 今井教授、夫人、足立元海将補、矢田部1陸佐、藤田2空佐、夫人、
    堀内2陸佐、中野2空佐、滝口2空佐、夫人、滝原3空佐、夫人、
    武宮元3空佐、小山田1空尉、坂本2陸曹
    米軍側 Meeko空軍中佐他3 1名
    なお、米軍OCFより修養会の前日夜および当日夜基地会員の家に宿泊歓迎の
    申出があり、中野2空佐および小山田1空尉は宿泊して米軍メンバーと更に深い
    交歓が出来た事は祝福であった。
    4.月例会・役員会
    日時 1982年11月12日(金) 1830-2030
    場所 東京下落合 新屋徳治師宅
    実施事項
    (1)聖書研究
    (2)日米合同修養会の報告
    (3)祈り
    参会者 足立、清永、滝口、堀内、下乗谷、今井の諸兄
    5.月例会・役員会
    日時 1 982年12月10日(金) 1830-2030
    場所 東京下落合 新屋徳治師宅
    実施事項
    (1)聖書研究-10
    (2)祈り
    参会者 清水、滝口、堀内、小山田、下乗谷、今井の諸兄
    新屋師宅に於ける東京月例会
    6.月例会・役員会
    日時 1983年1月14日(金) 1830-2030
    場所 東京下落合 新屋徳治師宅
    実施事項
    (1)聖書研究
    (2) AMCFアジア大会(台北)について打合せ
    (3)次回アジア大会の日本開催についての打合せ
    (4)祈り
    参会者 清水、滝口、滝原、下乗谷、央田部、今井の諸兄
    7.臨時役員会
    日時 1983年1月15日(土) 1000-1200-ll
    場所 東京一市ヶ谷会館
    打合せ検討事項
    AMCF次回アジア大会開催について
    (1)開催場所について
    (2)講師について
    (3)費用について
    ㈹ 会員の奉仕態勢について
    (5)日本開催の可能性について
    (6)祈り
    出席者 央田部、滝口、下乗谷、今井の各兄
    徽「利岡中和遺稿集」 (7、60頁、昭47・12)のおすすめ
    央田部稔(富校)
    昨8月に御殿場教会の一日修養会で3人のレポーターの1人として自衛隊伝
    道のことを話したことは35号で報告しましたが、そのときのもう1人の報告
    者の夫人が利岡先生娘金子育子様と女学校の同級生とのことで、 「遺稿集」を
    貸して下さった。小生は途中まで読んで自分のためのものを注文しました。
    また昨1 2月駒門駐屯地近くにお住いの林富美子先生(救ライ医療に挺身、
    即弓駐嘱託医師、現「御殿場十字の園老人ホーム」医師)を訪問し、御近著
    「野に咲くベロニカ」の中に利岡中和先生のことが記されていることについて
    お開きすると、義父(故林文雄氏の父)林竹治郎画伯と利岡先生は知己であっ
    たこと、有名な「朝の祈り」の画が利岡邸にあることなどを開き、去る1月8
    日・車で2時間ぐらいの距離にある茅ヶ崎市の利岡先生御遺族を訪問しました。
    防大学生の頃、千葉愛爾先生から利岡先生に一皮お会いするようすすめられ
    ていました。が実現しないままでした。
    「遺稿集」を読んで、昔の土佐の様子(小生も土佐出身)、経理将校として
    軍職にあるときも3 4才頃退役し汁粉屋を営みつつ軍人伝道を志し「コルネリ
    オ通信」を発刊したときもいちずに生き続けた信仰者の姿、自衛隊のコルネリ
    ー12
    オ会が発足したときの思い等を知りあらためて励ましを受けました■
    御一読をおすすめします。代金については御遺族は車道のためのものでありお
    志しのままとのことでしたが、小生は之000円(送料含む)くらいが適当と患
    います。〒253・茅ヶ崎市東海岸北3-14-19 金子管主あて
    徽 通 信
    o インマヌ-}レ綜合伝道団静岡インマヌ-ル教会の松村導男牧師から新年のと祝
    詞と共にど一家の写真および教団、教会の範介が鹿きました。先生は本年7 5才
    で奥様さだ子牧師と共に静岡イン’7ヌ-ル教会の主牧師を勤めておられます●長
    男献-牧師は聖主神学校教授、東関東教区長を兼ねて奥様め_ぐみ牧師と共に千葉
    インマヌエル教会を牧しておられます(子供2人)、次男伊作牧師は奥様千喜子
    牧師と共に甲府インマヌエル教会を開拓牧会、三男義矢牧師は奥様窒息牧蹄と共
    に静岡インマヌ主ル教会の副牧師(子供2人)、長女等子姉は中学教詮K燈し
    (子供2人)、次女宣子姉は新聞社次長に嫁し(子供3人)、三女ルブ子繭は夫
    と共に保育園を運営(子供3人)という祝福されたど家族との事です。
    先生は昭和1 3年中国に渡り上海に教会を建てて伝道に励まれました。当時の陸

    軍憲兵曹長北見はその教会で救われ現在も内地に於て活躍しておられる由●轟畿
    後は混乱の戦地に於て立派なあかしをされた後帝国,インマヌ-ル教団に点して
    海外宣教田の世話を全く受けることなしに牧師2 2 7名信徒伝道者1 1名が全員事
    日本人で会員1 1,2 6 1名のインマヌ-ル綜合伝導団の重鎮として括辞しておら
    れます。元海軍大佐長谷川稔氏は静岡教会の信徒伝道者であり、現会員には陸上
    自衛隊北千歳駐とん地の勝山昌之兄や防衛医科大学附属の看護学院を卒業されて
    静岡の病院におられる中山ゆみ姉がおられます。

    先生には常にコルネ1)オ会をおぼえて祈りの中に入れて頂いており,いつも義
    金の週報等を送って頂いて感謝しています。誌上をかりて厚くお礼申上げると共
    に将来共コルネリオ会の為に祈りを続けて頂き皮くお廉い申上げます。先生のと
    一家の上に、また伝道の上にそして先生のど健康のためにお祈り申上げます.-13
    0 山田伊智郎兄(大村藍とん地 防大26期)
    「主の御名を畜美致します。朝晩は肌寒さを感じる頃となりましたがいかがお
    過ごしでしょうか。私は幹校を卒業し第四施設大隊第-中隊に配置になりました。
    未熟者ですが全力で努力する所存ですのでよろしく御指導お良い申し上げます。
    ところで先日資料等送っていただき返事も出さずに失礼いたしました。今後コル

    ネリオ会の活動に微力ながら参加して行きたいと思いますのでよろしく御指導を
    お願い申上げます』
    コルネt)オ会事務局(JOCU)
    横須賀市志水1丁目
    防衛大学校応物教室
    今井教授気付
    振替 東京 3-87577
    (発行責任者 今井健次)
036nl

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