「思い巡らす」こと
コルネリオ会会員 山田伊智郎
主のみ名を讃美します。すっかりご無沙汰しており
申し訳ありません。いつもニュースレターを楽しみに
拝見しております。
私がキリスト者になったのは、防大の2年の5月な
ので、約40年前になります。少し振り返りながら、こ
の間のキリスト者として歩んだ私自身の在り様の変
化を書いてみたいと思います。
当初は、キリスト者として正しい生活(道徳的に正
しい)をしなければならないと感じており、いわゆる
「清く、正しく、美しく」を目指していました。教会の先
輩からもそのように学び、教え育てられたものです。
しかし、このことには無理がありました。まず、教会の
自分と普段の自分にギャップを感じながら、2面性を
持った生活をしていました。つまり、教会ではいわゆ
る「良い子ぶった偽りの自分」で、実生活では「飾りの
ない無理のない自分」でした。このように矛盾を抱え
ながらの生活は苦しく窮屈なものでした。キリスト者
になったのは、幸せになるためで、苦しむためではな
いはずだと、長い間このような苦しみと疑問が続きま
した。
しかし、40代くらいの時に転機が訪れました。それ
は、教会学校で成人科の教師を任された時でした。聖
書を読んで準備していると、聖書のあちこちに矛盾を
感じる点があり、整合性を求めて「思い巡らし」ながら
クラスの準備をしていました。そして、自分なりにそ
の矛盾を包含して、整合がとれるような解釈を考え、
成人科のメンバーにその解釈を話しました。しかし、
年配の教会員から、勝手な解釈はダメだ、聖書は自分
勝手に解釈するものではないと、きつく言われました
聖書を「自分の都合のよいように解釈しているのでは
ないか」との忠告だと思いますし、実際にそうかもし
れません。しかし、そのように言われながらも、この
「思い巡らし」が面白く、成人科でこの「自分勝手な解
釈」を続け、なぜこのような解釈がいけないのかを年
配の教会員に問い続けました。その年配の教会員も次
第に理解を示してくれるようになり、今でも一緒に教
会学校の成人科で学んでいます。以前は一方的に聖書
を読み、解釈を講義するクラスでしたが、今は、メンバ
ーそれぞれが、生活に根付いた解釈で聖書を読み、そ
の内容を分かち合っています。そのような聖書の読み
方から、気付いたことは、「イエスは我々を縛るためで
はなく、解放するために来た」ということでした。この
ような数々の気付きが、私に新しく広い思いを与えて
くれ、窮屈な生活から少しずつ解き放ってくれました
しかし、「自分の都合のよい解釈をしているのではな
いか」との思いは残りますが、そのことも含めて主が
導いてくれると信じています。
今では、キリスト者であることは、ごく自然で普通
のことになり、教会でも自分を飾ることがなくなりま
した。「人と比較することや人からどう思われるかを
基準にして行動することほど、人を縛り、不幸にする
ことはない」と聖書から教わったからです。
そして、もう一つ気付いた重要なことは聖書に出て
くる「言葉」についてです。例えば、「罪」「裁き」「永遠の
命」など、一般の人が聞いたら、その解釈に戸惑いを感
じてしまう言葉です。「罪」はよく「的外れ」で、「主の方
に向いてない状態だ」といいますが、「裁き」は如何で
しょうか、「自分の言葉」で人に説明するのはとても難
しい言葉です。「永遠の命は」どうでしょうか、「自分の
言葉」で説明するのは難しいですし、本当に自分の解
釈で正しいのかと疑問も湧きます。しかし、「自分の言
葉」が正しいかどうかという問題ではなく、キリスト
者としての歩みの中で、これらの言葉に向き合って
「問い」を続けてゆくことが大切だと思います。キリス
ト者同士が別れ際に「祈ってますよ」という言葉をよ
く使います。しかし、これは「さようなら、元気でね」と
いう挨拶の言葉として使っているように感じます。こ
れと同じで聖書に出てくる「罪」「裁き」「永遠の命」な
どその日本語のイメージからは違う意味を表す言葉
についても、あまり考えることもなく、定番の「キーワ
ード」として使っているのではとないかと思います。
習慣的に使うのではなく、その内容を「思い巡らし」な
がら、掘り下げることが、豊かな広がりのある生活を
導いてくれると思っています。
洗礼名(プリンセル先生の思い出)(その2)
コルネリオ会会員 中村誠一
今回判明したのであるが、プリンセル先生は、当初か
ら私に「洗礼名・ヨシュア」を準備していたのだそうだ
妻が直接プリンセル先生から聞いていたという。それ
を私が「洗礼名はダビデになりそうだ」と思い込み、先
回りして「ダビデは嫌いだ」と言うようになったという
のが「ことの真相」である。「ダビデが嫌いだ」と話すと
「なぜ?」とよく聞かれたが、今となっては自分の思い
込みであり、天下の「ダビデ王」に大変失礼なことをし
たことを心底恥ずかしく思っている。ある時、韓国の教
会で「兄弟、愛を基調とするキリスト教の信者が、(神
様が認めた)ダビデを嫌いだと言いすぎると、神様の
恵みをいただけませんよ」と真顔で忠告されたことが
あり、自分の狭量さに顔が赤くなった覚えがある。身の
程知らずという言葉があるが、イエス・キリストに次
ぐ「聖なる名前」にランクされるであろう「ダビデ」を拒
むとは何という男であろうか!しかし、この件は、妻の
「要望」や「好み」の問題ではなく、プリンセル先生の「判
断と決断」という権威あることなのだ。洗礼を受けてか
ら日が浅い私には、「ダビデ」は重すぎたのだ。私の「霊
の母」(先生の手紙の最後には必ず書いてあった。)で
あるプリンセル先生は、すべてをご存じだったのだ。そ
れ以来「ダビデが云々」は封印した。
プリンセル先生が私によく話された「み言葉」は、マ
タイの福音書の次の箇所だった。
1「まず神の国と義を求めなさい。そうすればこれらのも
のは全て、それに加えて与えられます。」 マタイ6:33
2「しかし先にいる多くの者が後になり、後にいる多く
の者が先になります。」
マタイ19:30
プリンセル先生とお会いし、受洗するまでに十数年
の期間を要した私だが、待っていてくださったことに
感激している。信者の最後列をイエス様の救いを求め
て下を向いて歩いていた当時の私(後の者)が洗礼を受
けたのだ(先の者に加えられた)。プリンセル先生は、
あなたにもイエス様のためにできることがあるのです
信仰を持ち続け、それを求めてゆくのが使命なのです、
と伝えてくださったのだ。私は自分の人生において、も
っと素直で謙遜な姿勢を持ち、キリスト者としての「生
きがい」を求めて生きることを諭されたのだ。手前味噌
ではあるが、私はプリンセル先生に愛され続けたのだ。
すかさず妻は、出来の悪い何とかは特にね、と笑う。私
はこの指摘を快く受けとめようと思う。先生にとって
の私は、決して良い「息子」ではなかった。
プリンセル先生は「イエス様第一ですよ。」と言うのが
口癖であった。電話の最後には必ずこの言葉を使われた
10年前、2008年の先生の84才の誕生祝賀会に本
土から妻と出席したのだが、忘れられない思い出がある
プリンセル先生は認知症の症状がかなり進み、セレモニ
ーで私が Do you remember me? と話しかけても、ほほ
えみながら、わかりませんと答えられた。プリンセル先
生が私たちに何かを伝えるとすれば「この言葉」しかな
いと思った。セレモニーが終わり、プリンセル先生が教
会の玄関前の道を歩いて牧師館に帰ろうとしていた。私
がたまたま玄関前にいたのだが、先生は急に振り向き、
私に向かって「どこかでお会いしましたよね。」と日本語
で話しかけたのだ。私は思わず英語で、私は先生に50
回以上もお会いしましたよ!と涙を流しながら叫んだ。
プリンセル先生はあの時、一瞬でも私のことを思い出し
てくれたのだと確信している。
プリンセル先生、私たちは心から感謝しています。ヨ
シュアとエステルの「霊の母」になってくださり、本当
にありがとうございます。健康が守られますようにお
祈りしています。お元気でお過ごしください。
2018年7月 糸満市 ヨシュアとエステルより
追記:この「思い出」は、プリンセル宣教師の「来日65
周年、94歳の誕生日に合わせて、今年の7月に教会の
記念誌に投降したものを短くしたものである。昨今の
キリスト教会の教勢に合わせるように、私がお世話に
なっている教会も「牧師不在」となり、那覇教会の牧師
が兼牧となった。月一回の割で、信者である私がメッセ
ージを担当することになり1年半が過ぎた。記述にも
あるが、月一回、近くの「施設訪問」にも信者7~8名と
牧師1名で参加している。約20名ほどの成人が出席
してくれるが、パソコンとプロジェクターを駆使して
ユーチューブからキリスト教の「アニメ紙芝居動画」や
各種行事の案内、讃美歌などを紹介している。記述した
時期は、「沖縄返還」直後で、自衛隊に「風当たりが強か
った」時代である。本島南部の教会にも10名程度の自
衛官がいたのだが、数年後に本土勤務に戻る等の事情
で、教会にとどまっている自衛官は少数と言われてい
る。
AMCF 東アジアインターアクションに参加して
コルネリオ会会長 石川信隆
ハレルヤ! 主を賛美します。
今回10月10日(水)から13日(土)まで3泊
4日の間、韓国ソウルにある海軍中央教会で行われた
東アジア軍人クリスチャンリーダー研修会に中野久
永兄と2名で参加して参りました。大会のテーマは
「強くあれ。雄々しくあれ。」(ヨシュア1:6)で、朝
7時から夜9時過ぎまで、びっしりとしたスケジュー
ルでした。主催は現役軍人クリスチャン会(約60,000
人)で退役軍人クリスチャン会が支援したそうです。
1. 賛美の力
今回の研修会で最も印象に残ったのは、女性軍人
を交えた賛美チームによる賛美の力でした。練習に
練習を重ねており、集会の始まる前に必ず賛美で始
まり、会場が聖霊で満たされました。また中堅軍人
幹部による賛美もあり、制服姿で賛美する様子は、
日本ではとても考えられませんでした。また以前馬
堀聖書教会に集っていた韓国防大留学生の柳兄の
奥様が賛美していたので、びっくりしました。
2. 今回の特色
今回の研修会の特色は、台湾(7)、モンゴル
(4)、日本(2)、韓国のほかに、中央アジアの
5か国(キルギスタン(6), カザフスタン(4),
タジキスタン(2), ウズベキスタン(2)、タルクメ
ニスタン(2))が参加したことでした。
タルクメニスタン2名は戦闘服姿で参加してい
ました。参加者は計約70名でした。
3. インターアクションとは
軍人クリスチャンのリーダーを育成する目的で、
誘導的聖書の学び,会話祈祷、証しの方法、伝道の方
法を通じて「キリストにあって一つ(ガラテヤ
3:28)」をお互いに実感するために行なう、少人数の
「リーダー研修会」のことです。昨年はモンゴルで行
われました。一方、3年に1回交わり(Fellowship)
を目的とした大会(Conference)が行われます。来
年日本が大会を行うことになり、現在その準備を進
めています。2019年8月29日(木)-31日
(土)の2泊3日、横浜オンヌリ教会で行う予定で
す。
4.今回のインターアクションにおける反省点と感
謝
(1)
主は生きておられ、今も働いておられることを
実感しました。
(2) 今まで日々聖書を真剣に読んでいなかったこ
とを反省しました。忙しさに紛れて素通りの読み方
で、良く内容を吟味していませんでした。それを
IBS(Inductive Bible Study:誘導的聖書研究)で
学びました。
(3) つまり、主(イエス)の偉大なパワーを自分の
生活の中に呼び込んでいませんでした。
(4)
もっと真に神様に仕える強いクリスチャン、積
極的なクリスチャンに回心しなければと反省しま
した。
(5) 我々クリスチャンには偉大な創造主なる神様
が日々守っていてくださる(インマヌエル)こと
を改めて感謝しました。 主にありて
(次ページ写真掲載)
献金感謝(2018.4.1-2018.11.30)
皆様の献金を心から感謝します。(複数回献金者含
む)
廣田具之、芝祐治、滝口厳太郎、今市宗雄、河野行秀
西澤邦輔、在原繁、桧原菜都子、瀬在道晴・米子
吉田靖、竿代忠一、玉井佐源太、石井克直、中岡一秀
清水幸子、海野幹郎、石川信隆、圓林栄喜・さゆり
今村和男、中野久永、大沼薫、松山暁賢、
内山義彦・和子、中村純誠・典子
2018韓国東アジアインターアクションに参加して
コルネリオ会副会長 中野久永
イエス・キリストの御名を褒め称えます。ハレルヤ!
私は、この度韓国海軍中央教会で開催された2018年
東アジアインターアクションに参加してきました。 期
間は、10/10(水)から3日間でした。いつも韓国のス
タッフ達の献身的なサポートに感動し、感謝をしてい
ます。中央アジア国を含み10か国66名の軍人達が
様々な困難を克服しやって来ました。私も米国在住で
日程調整が複雑でしたが無事計画どおりに参加できま
した。皆様のお祈りに感謝致します。
各国報告(National Report)において、各国の軍人キリ
スト者会の組織、人数、活動内容や祈りの課題について、
参加者に通知を受けていましたので、各国ともそれぞれ
趣向を凝らした素晴らしい発表となりました。
私は日本を代表してコルネリオ会について発表する
機会が与えられました。予め石川会長からパワーポイ
ントの内容についてご指導を頂きましたので、スムー
ズに発表することができました。特に来年8月末に日
本がホスト役を務める大会の大変重要な報告をしまし
た。発表直後に、石川会長と私は、東アジア会長のアン
ドリュー・チェンはじめ関係役員の方から私達の肩に
手を添えていただき、コルネリオ会のため、また来年日
本での大会のために神様に力強いお祈りをして頂きま
した。私も、今大会テーマ「強くあれ、雄々しくあれ!」
(ヨシュア記第1章6節)を心に刻み来年に挑みます。
どうかコルネリオ会の皆様もこの大会のためにぜひお
祈りをお願いいたします。 在主