ニュースレターNo.127(2011年10月)

「2011 Interaction Mongolia」参加記
コルネリオ会員 芝 祐治

1 始めに
昨年、空自幹部学校に入校されていた韓国留学生の
紹介でコルネリオ会を知り、それ以来本会で活動して
きたところですが、モンゴルにて開催された
「Interaction」へ今回初めて参加してきましたので、
その概要を皆様に報告します。
今回の「Interaction」は、日本・韓国・中国・カザ
フスタン・キルギスタン・モンゴル・ニュージーラン
ド・台湾・アメリカの9カ国の MCF 等からの参加によ
り、平成23年8月24日から28日の5日間、モン
ゴルの首都ウランバートルにあるチンギスハーン国際
空港から10kmほど離れた、モンゴリカホテル&リ
ゾートにて行われました。
私はこれまで海外への渡航歴はなく、今回が初めて
の海外渡航となりました。また期間中、使用言語は全
て英語(現地の言葉は支援者(現地で働かれているモ
ンゴル人牧師)による逐次通訳)で行われました。
また、一人での参加ということに戸惑いましたが、
それでも大変有意義な経験をすることができ、参加を
勧めてくださった会の皆様に感謝しています。
2 初日
いよいよ出発、自宅から成田空港へ。機材到着が遅
れ、また空港周辺が豪雨に見舞われたことから、約2
時間ほど離陸が遅れましたが、離陸後は順調に飛行を
続け、初のモンゴルへ無事到着しました。
ホテルまでの道すがら、あまりの道路事情の悪さに
右側通行であるはずにも関わらず、車は左右へ機敏に
動き続け、まるでちょっとしたラリーのようでした。
それに慣れると道ばたに点在する、初めて見る本物
のゲル(移動式の組み立て住宅)や遙か向こうに見え
る山々に感動しているうちに、小さな市街地を抜けて
会場のホテルに到着しました。
私のルームメイトは現地のモンゴル人牧師でした。
出国前は1人部屋ということを聞かされており、案内
された時点では素性の分からない初対面の外国人が同
室ということで、かなりの不安がありましたが、そこ
でクレームを言えるほどの会話能力があるわけでもな
く、多くの不安を抱えたまま最初の夜を過ごすことに
なりました。(結果としては様々な話を聞くことができ、
おまけに最終日には彼の尽力で、より空港に近い市内
に泊まることができたのでした。)
3 Interaction1日目
1日目は「Inductive Bible Study:帰納的聖書学習」
と題された聖書学習法を英語で学びました。要は、「限
られた時間の中での(軍隊内での)聖書学習をどう準
備し、どう導くか」ということを自分が導く立場にな
って考える、と理解しました。途中、記述式の部分も
ありましたが、説明される内容と資料をなんとか聞き
(読み)こなし、仕上げることができたのはちょっと
した自信につながりました。皆での昼食の時間を挟ん
で午後は各国の現状紹介でした。今までほとんど接し
たことのなかった各国の現状について触れることがで
きたことは、今後の信仰生活において大きな刺激とな
り、また糧となりました。また、国によっては弾圧を
受けている国もあり、実際そのために今回参加できな
いとのことでした。その国の体制と、人々のために祈
り続けたいと思います。
4 Interaction2日目
2日目は「Conversational Prayer:会話的祈り」に
ついて学びました。両日の講義(実習)を通じて再確
認したことですが、聖書を学び、自分自身の課題につ
いて祈る、もしくは祈りあうことは信仰生活の基礎中
の基礎です。祈り方についてより実践的なものを学ぶ
ことができました。特に小グループでの「学び」と「祈
り」を導くことの重要性と実際的な方法論を学ぶこと
ができたことは大きな収穫でした。学んだ方法論に基
づき各グループで選んだ課題について祈りあうという
時間があり、このグループが、「日本(1)・韓国(1)・中
国(2)・台湾(1)・アメリカ(2)※( )は人数」で当初は
英語での祈りでしたが、意思の疎通が途中で難しくな
り、結局それぞれの言葉で祈るということになりまし
た。英語はともかく、中国語と韓国語はわかりません
でしたが、終わった後、なぜか通ずるものがあったよ
うな気がするのはなぜでしょうか。
5 Interaction3日目
やっと周りの人とのコミュニケーションが取れだし
たかと思うところで、Interactionの内容としては最終
日です。「証し」を書き、それを発表するというもので
した。日本語で組み立て、たどたどしい英語で発表す
るという、大いに冷や汗をかく経験でしたが、発表後
のグループ皆の笑顔が忘れられません。
全日程を終了し、昼食後は市内観光です。ホテル、
空港からウランバートル市街地に入り、途中、道を行
く人々や町中の様子に目を奪われていると、また草原
地帯へ。しばらく走り続けると巨大なチンギスハーン
のモニュメントがあるテーマパークに到着しました。
辺りは広大な草原、しかしその中に見たことのない大
きさのステンレス製の馬に乗ったチンギスハーン。あ
まりのギャップに驚くばかりでした。モニュメントの
下部は博物館になっており、我々の来訪の2日前に開
館したとのことでした。その後、市内へ戻り伝統衣装
に身を包んだ男女のショーを観覧し、興奮冷めやらぬ
中ホテルへ戻りました。
6 最終日
日曜日、そして最終日。午前中は皆で礼拝をし、名
残惜しさの中、いよいよ別れの時です。初日では考え
られない大胆さでそれぞれの参加者と挨拶をし、再会
を誓いました。本来であればそのままホテルに泊まり、
翌日の早朝ホテルから送迎してもらうこととなってい
ましたが、前述の牧師が、私のもう少し市内を見たい
という要望を聞いてくれたうえ、彼の関係するNPO
の宿泊施設を世話してくれることになり、甘えること
にしました。ホテル出発後、彼とA兄と共に現地MC
Fの事務所、「ザイサン・トルゴイ」という記念碑(市
内を見下ろすことができる丘の上にある)、牧師の教会
を見学させていただきました。
7 帰国~最後に
A兄運転の車で宿舎を5時半に出発し、6時過ぎに
は空港へ。手荷物検査の機器に異常があり1時間ほど
出発が遅延しましたが、混雑の中待たされた代償か、
その分出国審査はあっという間に順調に終わり、成田
へ無事到着しました。
…本当に大変貴重な経験をさせていただきました。現
地での愛する兄姉の心温まるもてなしと交わりに感謝
しています。この経験を糧とし、今後もコルネリオ会
会員として奉仕して参りたいと思います。ありがとう
ございました。

東日本大震災に派遣されて
会員 加瀬典文

1 はじめに
私は、東日本大震災災害派遣の命令を受け、5月
21日から約2週間、空自災害復旧支援隊(以下「隊」
と略)の一員として活動を行ってきました。
隊の活動内容は、行方不明者捜索及び瓦礫撤去、
給食給水支援、入浴支援、物流管理支援そして松島
基地の基地機能復旧です。発災から2ヶ月、一時は
千名を数えた隊も850名態勢となっていました。私
は現場で汗水流して働いたわけではなく、調整・統
括をしていただけですが、しばしばの現場進出時に
得られた事柄を私見を交えてお伝えします。
2 石巻市での活動
松島基地東側の石巻市。地平線まで瓦礫と化した
あまりの光景に心が停止してしまい、何の思いも浮
かびませんでした。しかし間もなく、ここでたくさ
んの人が亡くなってしまったこと、生き残ったが今
も困難な状況にいる人々がいること、そして、何の
被害も受けずにのこのこと来た自分がここにいるこ
との対比に、悲しみに似た感情を抱きました。大き
な大きな出来事を前に、一端の英雄気取りで来た自
分の愚かな小ささを感じたのかもしれません。
隊は、報道にもよく出てくる焼けこげた門脇小学
校の近くで重機を使った瓦礫撤去作業を行っていま
した。岩手県山田町での任務を終えてからやってき
た者達もあり、その忍耐力には頭が下がりました。
その1人から興味深い話を聞きました。4月7日に
大きな余震がありましたが、山田町で陣頭指揮をと
っていた特科連隊長が、阪神大震災の経験からそれ
を予見し、4月7日は自衛隊は活動しない、地元の
皆さんも注意するべきだと発言していたというので
す。神がかり的な人もいるものですが、地震を予見
しても、それを公言して実際に対応をとるという決
心は普通ではないと感じました。
陸自は石巻総合運動公園に大規模な前進兵站基地
を設営し、関連活動に我々の隊も参加していました
が、陸自と空自の摩擦が起き、統合運用の難しさを
感じました。隊は陸自の統制に従っていたのですが、
待機時間が長かったり、現場で活動内容が変更され
たりすることに苦情が出ていました。陸自の文化は
予め準備した装備でとりあえず移動、駐屯地を設営、
現地確認後に活動を開始するので到着後の待機時間
がありますが、空自は瞬時に移動(航空機が主体)、
速攻活動して即戻る文化なのです。私達はある時、
意を決して後方支援連隊長にその件を言いました。
「わかりました。ただ陸自の文化も理解してほし
い。」との弁でした。翌日、陸自計画担当者は2階級
上の人となり、現場指揮官も違う人になり、待機時
間も無くなりました。私は前任者のことが気にかか
りましたが、その対応に驚きました。
山田の件も石巻の件も、大人数の人を動かす陸自
には、空自にはいない人材がいるものだと感じ入り
ました。現場では決してその名を知られない人々の
活躍があるものです。神様は人を使って地上をおさ
めていることをおぼえます。
3 東松島市鳴瀬地区での活動
松島基地の西側、東松島市鳴瀬地区。全域の海抜
が低く津波により全てが消失してしまい、石巻市が
瓦礫の山となっていたのと極めて対照的です。日本
三景松島の北、「奥松島」と呼ばれ独特の景観を有す
る地域であるだけに、人の手に成った町が消え去っ
た風景は自然の力を前にした人間の無力さを際立た
せていました。
東名という運河があり、家、車、神社までもが、
この運河に落とされていました。一定間隔で堰き止
め排水し、行方不明者捜索を行った上で、家、車な
どの瓦礫を撤去、撤去後さらに捜索を行い、元に戻
すという自衛隊の活動で、隊は行方不明者捜索に参
加していました。排水した後でも、膝から腰くらい
までは水があるので、ゴム製胴長姿です。また、運
河だけでなく、近くの鳴瀬川河口付近でも捜索を行
いました。こちらは堰き止めることができず、引き
潮時に実施。水深は1.5mはあり、所により顔だけ
が出るようなこともありました。しかも流れがあり
ます。命綱を持ちながらの危険な活動でした。一人
でも多くの行方不明者の発見を望む地元の気持ちに
応えるべく、困難な状況を前に隊員たちの士気はこ
の上なく高まりましたが、私は安全確保に神経を使
いました。キリスト者なのに、神にもすがる思いと
いうのを改めて実感したところです。
そんな折り、現場指揮官からある上申がなされま
した。本来ならば退けた方が良い内容でしたが、彼
らの本気の目を見て、私は黙って頷いたことがあり
ます。その後神に祈り続けました。彼らが無事に戻
り、達成感に満ちた目を見た時、そこに言葉は要り
ませんでした。私達のような者にこそ信仰が必要で
あることを感じた時でした。
4 活動をふりかえって
反省すべきは、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈
りなさい、全ての事に感謝しなさい」とのみことば
を忘れていたことです。確かに祈りはしましたが、
前述のように困った時の神頼みみたいなところがあ
りました。喜びも感謝も足りなく、驚き怪しむこと
の方が多かったと思います。
私達はこの震災に意味を求めようとしがちです。
しかし、全ては神の御手の中にあることです。日本
は過去何百年、いや何千何万年もの間、災害を受け
続けてきました。その度に日本人は立ち直り、団結
力や助け合い、忍耐力、勤勉さなどを養ってきたの
だと思います。天災は日本人にとって神が定められ
た宿命なのでしょう。
普通なら、「最後に亡くなった方々のご冥福を祈り
…」と結ぶのかもしれませんがキリスト者としてそ
うしません。かつて私は松島基地勤務だったことが
あり、その時も震度6強の宮城県北部地震に遭遇し
ました。被災した妻と娘は避難所や知人宅等を転々
とした生活を送りました。そんな中、石巻の友人知
人にかなり助けていただいたのですが、その方々の
うち1人のお名前が、亡くなった方のリストにあり
ました。残念ながらその方は主を信じてはいなかっ
たそうです。私達を助けてくれた人が滅んでしまっ
たのです。私にはみことばを伝える任務があるとい
うことを改めて感じました。
どうか主にある者皆に神様の導きがありますように。

修養会に参加して
会員 檜原 菜都子

私は教会の夏の修養会に集い、自分という存在は、
進化論の言うサルから進化した存在ではなく、創造主
が最高傑作として創られた被造物であることを確認さ
せていただきました。
また、創造主からの指示を受けるため、そして創造
主への信仰告白を告白するために「ことば」が与えら
れたことを確認させていただきました。
創造主からの指示には、「はい。かしこまりました。
アーメン」と神のみ前にて信仰を告白します。
父なる神が2千年前に被造物・人間の世界に、人間
の罪の赦しを求めるためにお遣わしになった御子イエ
スキリストについてもそうです。
昇天されたイエスキリストに父なる神のみもとにつ
く時までの主にある信仰をもって、個人の判断や保身
をゆだねていくことができますように。
さらに、御子イエスキリストへの信仰に導かれる聖
霊なる神を確信して信仰告白することが重要であると
思います。すなわち、信仰告白をしつつ歩まさせてい
ただくのみでございます。
一足一足主にすがり、絶えず絶えずこの者に伴われ
る御霊に従い、創造主のご支配、ご計画の中で歩ませ
ていただきとうございます。
献金感謝(2011.4.1-2011.9.30)
主にありて
いつもコルネリオ会を覚えていただき感謝致します
松山曉賢、舟喜晃子、今市宗雄・敬子、須藤義照、
石川信隆、伊藤忠臣、 玉井左源太、圓林栄喜、
山下和雄
(編集子)
徳梅陽介先生のご子息(敬謙君)の病が癒されるよう
お祈りください。
芝兄が211 interaction Mongolで多くの恵みを受けて
帰って来られました。今後の歩みの上にも祝福をお祈
りください。

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