自衛隊生活を振り返って(その2)
コルネリオ会 副会長 中野 久永
1995年7月に米国陸軍最先任上級課程を陸
上自衛隊の第一期生として無事に卒業できたこと
は本当にうれしいことでした。米国留学月例報告書
については当時の渡辺陸幕長も大変関心があった
と帰国報告時に教えられました。特に米国陸軍のチ
ャプレン(軍牧師)制度について学び自衛隊でも
この制度が適応できる分野はないものか模索して
いました。帰国後の配置先は、陸上幕僚監部教育訓
練部訓練課演習班(別名:演習部屋)となり毎日
米軍専用電話で英語での連絡調整と5個方面隊と
の日米共同訓練の調整に追われていました。この4
年間は大変忙しかったが充実した勤務でした。軍人
キリスト者東アジア大会も東京の池袋で行われま
した。私は夜間、茗荷谷にある東京バプテスト神学
校に入学して聖書を2年間学ばせて頂きました。ク
ラスメイトには、既に牧師をされている方もおられ
ます。感謝、感謝です。
その後、航空学校霞ヶ浦校勤務をしているときに
陸幕演習班長であった君塚氏(当時沖縄混成団長、
のちに陸幕長)より沖縄で通訳ができる自衛官が
必要だと言う事で白羽の矢が当たり、念願の沖縄勤
務となりました。赴任して1週間も経たないうちに
米軍ヘリが沖縄国際大学に落ちた事案が発生し、君
塚団長から直ちに特命で米軍司令部に赴き連絡調
整を連日連夜続けました。沖縄勤務5年間は、私が
自衛隊勤務経験を活かし、最も充実した米軍渉外業
務の分野を発揮できるところでした。私は、方面総
監と第3海兵遠征軍司令官との直接会議通訳、米国
陸軍、海軍、空軍、海兵隊各司令官と混成団長との表
敬通訳、各種国際会議通訳、議事録作成等で追われ
ていました。特に毎週行われている定例在沖米軍司
令官等会議に自衛隊渉外幹部として初めて参加さ
せて頂き、以後米側の最新情報の入手と自衛隊側の
考えを伝達することができるようになった事は、自
衛隊としても大変意義のあることと確信していま
す。私はこの会議でも海兵隊チャプレンの発言に特
に耳を傾け興味深く聴いていました。そのおかげか
チャプレンと、親しくなり、在沖海兵隊の刑務所で
私の証を囚人の前でする機会が与えられました。お
そらく現職自衛官がこの施設に特別許可を得て入
ったのは、初めてでしょう。改めてチャプレンの素
晴らしさを実感いたしました。
また別の観点から私は、米軍の軍事法廷を継続的
に傍聴席で傍聴してきました。軍法裁判について調
べてみたかったからです。毎回傍聴席に私がいるの
で裁判官とも親しくなり、米陸軍のクリスチャンの
裁判官との交わりが与えられました。1人の人間を
裁くことについていかにあるべきか、ということは
キリスト者であり裁判官という立場にある軍人は、
神との祈りの時間を持つことであると思いました。
沖縄5年間勤務の中でのべ約7か月間も米国出張
いたしました。テキサスを拠点としてアーカンソー
州、カルフォルニア州、ワシントン州、アトランタ州、
ニューメキシコ州、ミネソタ州、オハイオ州にも行く
ことができ、それぞれの地域では軍人クリスチャン
との親しい交わりを持つことができました。
軍人クリスチャンは、素晴らしく、お互い尊敬し合
います。なぜなら最も過酷な任務に就いているから
です。このような人には、救い主であるイエス・キ
リストとの出会いが必要です。私は、自衛隊を定年
して1年半になりました。振り返ってみますと神様
の臨在があらゆるターニングポイントにおいて働
いておられることを確信します。もちろんここに書
けなかったさまざまな困難なことがあった時も神
様が見守っていて下さったのだと信じています。目
に見えることでなく、目に見えない信仰を喜び、更
に神様にささげていこうと毎日を精進しつつ歩ん
でいこうと願っています。現在は、ギデオン協会ギ
デオンマンとしても聖書を各学校の前で贈呈する
喜びが与えられ、牛久入国管理事務所に収容されて
いる方たちに聖書をプレゼントする機会も与えら
れています。また、社会教育委員としても教育行政
に少しでも私の経験を踏まえて貢献できることが
幸せです。来年でもう10年になるのですが自殺を
考えている方たちに直接関わっていることもして
いるのですが、こんなたった一人の人間でもつくづ
く自分は神様から生かされて活かされているので
神様をほめたたえざるをえません!
感謝!感謝!感謝 救霊第一 栄光在主
アルゼンチン宣教(その4 ブエノスアイレスでの出来事)
コルネリオ会 会員 圓林栄喜
在原宣教師が、アルゼンチンでの宣教に入ってからの
出来事について紹介します。
「悪いことは申しません。お止めなさい」。悲鳴に近い
ような声で「奥地ミシオネス州」への宣教に反対する一
日系人夫人の声を耳に響かせながら、私たち家族を乗せ
た大陸列車(古い型のジーゼル車)は、1000Km北
方に位置するミシオネス州とパラグアイ国境地帯にあ
る州都ポサダスに向けて出発しました。1988年の秋
も深まる4月中旬のことでした。
すでに話が進んでいたとはいえ、奥地ミシオネス州宣
教における開戦について、当初は、人間的な思いではあ
まり重荷も信仰の情熱も感じない私たちでした。知人か
ら耳にする現地の話は、すでに数十年前に現地で農業開
拓をし、その後、逃げるようにして都市部にやってきた
人々によるものです。迫力と説得力は十分すぎるほどあ
りました。その内容たるや「危険地帯」(誘拐事件の続発
は国際ニュースで日本にも知られていました)「厳しい
自然環境」「遅れた社会」(医療設備、教育機関など)「日
系人移住地の空洞化」等々、それはネガテイブな話ばか
りでした。「だからアリハラ先生、奥地へ行っても宣教の
成功は望めません」というわけです。反対の忠告をして
くれる日系人の話には、実際に力がこもっていました。
反して、宣教準備のために2か月間滞在していた首都ブ
エノスアイレスは、経済恐慌の洗礼をもろに受けていた
とはいえ、南米のパリとしての威容を誇るだけの風格は
備えていました。
中心地から一歩郊外に出れば、そこには広大なスラム
地区が形成されていたとはいえ、市内は、東京は山手線
の内側を連想するほどに近代化で整っていました。交通
機関、金融、商業地区、教育機関など、バブル経済の当時
の日本と比較しても、勝るとも劣らぬと思えるほどの金
満ぶりも目に付く格差社会でもあったのです。
「首都で宣教したほうのが良いではないか?」半月も過
ぎたころ、私の心にそんな思いがやってきました。ここは
日本と変わらず機能的かつ便利な町で、特に、それまで最
大の懸案となっていた3人の子供の教育のためにも、こ
の町こそ最適な環境だと思えたからでした。明治から昭
和の時代に日本にやってきた宣教師の多くは、子供の教
育を優先したことから、主に「東京、横浜、神戸」などの国
際的な都市に住居し、そこを宣教拠点として構えては地
方宣教を推進したことも思いながら、首都に於ける宣教
への思いは日ごとに強まっていきました。二か月という
短期滞在期間ながら、追い打ちをかけるように、首都の日
系人クリスチャンたちから、私たちに対する牧師就任要
請の声も高まり始めていました。何としてもアリハラを
牧師に招聘し、新しい教会を設立しようという複数集団
の願いも、耳元に届くようになってきていました。当時、
市内にあった2つの日系人教会は、一世と二世合わせて
100名前後と、それなりに教勢は安定しているかのよ
うでした。が、しかし、2教会とも共通の霊的な問題を抱
えていたのです。「リバイバル問題」がそれでした。
第二次リバイバルを迎えたアルゼンチンは、「不思議、
奇跡、癒し」の顕著な御わざを現しながら、福音派の教会
と信徒の数は爆発的成長を経験しており、当時その働き
は絶頂下におかれた状態でした。いたる所で目にできる
若き伝道者や信徒による、捨身とも言える大胆な街頭説
教と、そこで見られる聖霊の御業は顕著でした。キリス
ト教嫌いの人であっても、光り輝く信徒の姿を目にした
ら、即その場で教会に引き寄せられ回心していったとい
う、本当に、嘘のような本当の証をたくさん見聞するこ
とができました。その光景は初代教会のペテロやヨハネ
の姿を連想するかのようでした(使徒行伝3,4章)。
しかし、「福音派の教会」イコール圧倒的多数が「ペンテ
コステ派」というリバイバルの国にあって、なにゆえか
二つの日系人教会は「リバイバル」と「聖霊の働き」に反
対の姿勢を持ち、「ペンテコステ派」に対しては異端の烙
印すら押している状態でした。このような状況下、「霊的
な飢え渇き」を覚える日系人信徒たちの、現地人教会
(アルゼンチン人教会)への流出も始まりを見せてい
たのです。「流転」とも「混乱」とも思えるそんな流れの中
で、日本から「聖霊派」の流れを持つ「アリハラ」という宣
教師がやって来たわけです。流出派の信徒たちが「アリ
ハラ」を牧師として招請し、新しい「聖霊派」の教会を形
成しようという動きは必然的に起こることになります。
さまざまな出来事を体感しながら、主の御心は「奥地」
か?それとも「首都」か?心が激しく揺さぶられていた
そんなある日のことでした。主からの「啓示」と思える出
来事がやってきたのです。
夏の終わりを告げる涼しい風を頬に感じていたその日
私は、或るアルゼンチン人教会の牧師宅にお邪魔する人
となり、しばらくの交わりの中で、自分の「証」と今後の
「ビジョン」などを語ることになりました。スペイン語は
初歩程度の語学力でしたから、相手にどの程度伝わった
か分かりませんが、主に、ブエノスアイレスでの宣教に
重荷を感じていることや、二つの日系人教会の問題点な
どを話していきました。30分程度の私の「証」に耳を傾
けていたその牧師は、聞き終えるなり「スッ」と立ち上が
り、自分の書斎へ向かっていきました。「トイレにでも行
ったのか?」と思っては、待つこと数分後に戻ってきた
牧師は、穏やかで冷静な顔をしながら聖書を開き、そこ
を私に示し「主があなたに語っています」と言いながら
黙想してしまいました。
「あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の
歩きたいところを歩きました。しかし年をとると、あな
たは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて
あなたの「行きたくない所」に連れていきます。」(ヨハ
ネ21章18節)
この「みことば」を目にした瞬間に色を失った私は、
ほんの数分間という「霊的静寂」と思える「主の臨在」の
中に一人置かれることになりました。そして、霊的悟り
と決断は瞬時にやってきたのでした。「主の御心」は私た
ちが望んでいた都市部でなく、その日まで、「行きたくな
い」と思っていたパラグアイとの国境地にある奥地「ミ
シオネス州」にあることを、でした。ほぼ同時に、日本出
発前に示されていた「決意のみことば」と「宣教師の宣教
理念」も、鮮やかに心によみがえっては、奥地宣教参戦を
確信することになりました。示されていたその「決意の
みことば」とは・・「わたしは心優しく、へりくだってい
るから、あなたがたもわたしの「くびき」を負って、わた
しから学びなさい。そうすればたましいに「安らぎ」が来
ます。」
(マタイ11章29節)
「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしにつ
いて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者も
いるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に
報いてくださいます。」
節)
(ヨハネ12章26
「みことば」の言わんとすることは、主の「十字架とく
びき」を負うことで「平安」を得ることができ、この「平
安」こそ「勝利のカギ」になるということでした。
さらに「宣教師の宣教理念」とは・・「宣教師たるも
のは、現地の民が入っていけない所を開拓者として入り
そこを整地して後に、現地の教会に譲渡して身を引くこ
と。」 「宣教師たるものは、現地の民ができないことを
率先して行い、そこを整地して後に、現地の教会に譲渡
して身を引くこと。」
整然と啓示された上からの声により、私の決意はか
たまり、迷いは瞬時に吹っ切れたのでした。主が、私たち
を招いて待ってくださっている地は、奥地「ミシオネス
州」であることです。その日まで「リバイバル」と「聖霊の
めぐみ」に飢え乾いていた日系人たちは、私たちの奥地
宣教決断を聞くなり肩を落とされ、ある方々は目の前で
涙を流されました。その後、人間的な「情」を断ち切る思
いで、私たちは奥地の列車に乗り込むことになったので
す。
(次回に続く)
教え子からのメール
コルネリオ会 会員 中村誠一
沖縄の気候は、「涼しさ」を通り越して「寒さ」を感じる
ようになりました。30年前の沖縄勤務の時にも同じ思い
をしました。転勤した年は暑くて大変でしたが2年目か
らは寒く感じるようになり、久米島で「こたつ」を出した
記憶があります。体が気候に順応したのでしょう。
昨年の沖縄移住の直後、定年後に勤務した新宿の日本
語学校時代の教え子で、中国の大連に住む中国人女性か
らメールが届きました。聡明でおとなしい方で、日本語
の理解には不自由なく、所沢の家にも遊びに来てくれ、
妻と料理の話で盛り上がっていました。お土産に自作の
「ホイコーロー」を持ってきてくれたこともありました。
私自身の病気に対する「お見舞い」とともに、彼女自身の
「甲状腺がん」の発病を知らせる内容のもので、同時に私
たち夫婦がクリスチャンであることを思い出し、キリス
ト教について詳しく知りたいので教えてほしいとのこ
とでした。私は中国におけるキリスト教の布教状況に関
する知識があまりありませんでしたので、中国語訳の聖
書があるかとか、近くに教会があるか(教会があるとは思
っていませんでした)、毎日祈ることが大切なこと、日本
の教会で配信している日曜日のインターネット礼拝を
見た方がいいよと、アドレスを一緒に返信するとともに
妻と毎日祈っていること、そして御言葉の聖書個所を示
して返信しました。すぐに返事があり、手元に聖書があ
り御言葉を確認したこと、インターネットの配信は中国
でも実施されていること、今年中に自身の2回の手術が
予定されていることなどが書かれていました。
私は中国語の聖書について調べたり、彼女は日本語が
堪能なので日本語聖書や、ついでに英語訳の聖書も送ろ
うと考えていたのですが、聖書は当面必要がないこと、
私たち夫婦に自分の病気の回復のためのお祈りのお願
いと、大連にある教会の内部写真を10枚ほど送ってくれ
ました。
中国での布教は厳しく、難しいものとばかり思ってい
たのですが、韓国人の友人の知り合いが中国宣教に行っ
ていることや、日本からもかなりの人たちが中国に行っ
ていることを友人から教えてもらいました。人口14億人
の中国です。神様が宣教を喜ばないはずがありません。
将来、彼女が聖霊に満たされ、中国伝道の一員として神
に用いられれば、すごいことだなあと思いました。そう
こうしているうちにTV報道で中国当局が建築法違反と
いう理由で、完成が近い教会を取り壊している映像が流
れました。このような中でも実は、文化大革命時代から
キリスト教の信仰は中国全土で脈々と受け継がれてい
ることや、沖縄の教会員のある方から「天国の人」という
「中国キリスト教・家の教会の本」を紹介され、一気に読
むことができました。真摯に神を求める人々の切実な、
そして厳しい環境での信仰生活の様子が細やかに書か
れてありました。私には実情を知らなかったことが恥ず
かしくさえ思わされました。
3 年前のイスラエル宣教旅行に行く前に読んだ
「TUNAMI」というアメリカ人牧師の書いたキリスト教
の伝搬に関する本には、中東地区で誕生したキリスト教
は地球を西へ西へと「西周り」で伝わり、エルサレムから
ギリシャ、ローマ、アフリカ、ヨーロッパ、大西洋を経て
南北アメリカへ、そして太平洋を経てハワイ、東南アジ
ア、日本、韓国、中央アジア、そしてエルサレムまで戻り、
地球を一周するのだと解説していました。その途中に人
口14億人の広大な中国が入っていないわけがありませ
ん。これからも中国におけるキリスト教の布教に関心を
持つべきだと思っています。
私たち夫婦は彼女の手術の成功を祈り、彼女がキリス
トを信じることができるようにとメールを送ったり、今
もお祈りを続けています。彼女は今年すでに2回の手術
を無事に乗り越え、健康が守られていることを主に感謝
しています。
コルネリオ会(防衛関係キリスト者の会)
メール:jmcfuse@gmail.com
郵便振込口座:00130-3-87577(コルネリオ会)