鴇 平和の道
最近新聞やテレビでも防衛論争が盛んになっている。我々はこの複雑な世にあ
って、それぞれの国がそれぞれの方向に進んでいる時、互いの利害が衝突し,そ
れを妥協や話合いによって解決するのにいとまのない状態であるが、これは一歩
間違えばそこから武力による衝突が起こらないとはかざらない。我国はその中に
あって高遠な理想をかかげて平和の先兵となろうとして進んでいるわけであるが、
これはすぼらしい事である。しかし現在のような国際情勢の中で単に理想をかか
げるだけでは平和の維持は困難であり、これに相応する対策が必要があろう。そ
れについて少し考察してみたい。先ず戦争について考えてみると、若し自衛隊が
外国と戦う事を想定すると大体次の三つの場合が考えられるo その第-は相手が
小国の場合で、この時は敵味方はぼ対等の武力を有するもので、これは我国の歴
史から見ても容易に敗れるとは思われない。第二の場合は相手が大国の時で、こ
の場合は主導権は敵側が持つ事になり、武器もベトナム戦の北爆に見られたよう
に圧倒的優勢な物量によって攻撃して来ると思われる。非常の場合こちらが核兵
器を有しないからと言って敵が核兵器を使用しないという保証はなく、寧ろ使用
の可能性は十分考えられる。この場合味方は地下に退避する以外に方法はなく、
敵が上座して来るのを待って陣地戦となるであろう。我国は第二次大戦の押紙本
島に於て既にそのような経験を有し、又終戦直前の関東平野は2 0万の東部防衛
軍を擁してその構えに入っていた。第三の場合は二大国の間で起こされた大戦の- 1
21
中に巻き込まれる場合で、この時も相手は大国という事になるが、ここでは恐ら
く敵の大国は綿密な計画のもとに一気に占領しようとするであろうし、第二の場
合よりも更に大規模で急激な攻撃となるであろう。之に対してはもはや第一撃に
対する退避と、その後の敵上陸に対してのゲリラ戦以外にはないであろう。我国
は山巌地帯を有し、そこでの持久戦は極めて有効であり、それに耐えることによ
って勝ち抜くことが出来る。
しかし何れにしても戦闘は国内で起こりその被害は甚大であり、民族の受ける
苦難は重大であろう。
以上は敵の攻撃に対して戦う場合であるが、苦し戦わないで直ちに降服するな
らばどうであろうか、その場合はイスラエルの補因の例を引くまでもなく、東洋
各国はここ二百年の間西欧の国に占領されたり、植民地として支配された経験を
持ち、それから脱する為には血の出るような独立運動が必要であった。又たとえ
全体主義的な衛星国としてその陣営に味方したとしても、若し自由がなければ
ソガリーやポーランドの様な例が待っていることになる。
それでは大国の間にはさまれた我国として安全の道はないかと言うと、その方
法はあるように思われる。
我国は今や富裕の国であり、その富は国力を軍備に向ける代わりに生活向上に
向けた事によって得られたと言われている。今やこの富は世界の注目する所とな
り、他国から安全が欲しければ軍備兵器を買えと言われる状態である。ここで我
々の選ぶ道が二つに分れる。一つは安全のために外敵から守る方法として軍備を
強化する方法であり、他は新しい国際感覚を以って、持てる富を使って平和を買
取る方法である。前者については多言を要しないが、後者について考えると、こ
の方法は国際的には未だあまり用いられていないが、個人の社会生活では通常用
いられている。近くの人から始めて多くの人達に恩恵をほどこすという方法であ
る。
旧約聖書の時代には人は律法によって律せられ、その規則に従う事によって正
しい秩序が保たれて来た。それがイエスキリストの出現によって福音がもたらさ
れた。福音の指し示す道は天上の道であり、山上の垂訓(マタイ5章一7章)の- 2
3
道である。律法によって達せられなかった世の救いは福音によって救われる。そ
して自分だけが助かるのではなく「自分を愛するようにその隣人を愛する」事が
その方法であり,国際間の関係を律するのにも、いつまでも古い国際法だけによ
るのではなく、新しい理論によって、互いに武装によって牽制することではなく、
福音にのっとった相互援助交易によってお互いの摩擦を乗切るべきではなかろう
か。古来戦争は莫大な物質的な浪費であり、若しそれらの資材を国際的福祉に向
けるならば戦禍による地獄を天国に変える事が出来る事になる。この時イザヤの
予言が成就する。
「こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、
かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ば
ない」 (イザヤ2 :4ノ
畿 コルネリオ会と私(その4)
松山昧賢(東北方面会計隊本部)
島松の補給処は、私にとって、北海道最後の勤務地となったが,特に,島松伝
道所には、長女、長男が幼稚園でお世話になったし、二女の出生も島松であった
ので、実に想い出の多い町であった。
50年3月、仙台勤務となり、 1 1年振りに母教会に帰ることとなった。
1.私の所属教会は?
実は、私は3 8年クリスマスに仙台広瀬河畔教会(母教会)で受洗したが、
間もなく仙台を離れたため、何処に行っても最寄教会が所属教会のようなもの
であった。しかし母教会には会員としての義務を怠っており、帰って見れば、
除集寸前の別帳扱いとなっていたようである。従って、私にとって、この1 1年
間は、 tt所属教会は?”という意味では不安定であった。しかし、コルネリオ
会は安定していた。何処に行っても変らなかったのはコルネリオ会であり、私
の信仰生活と自衛官としての勤務により自信を与えてくれたのが、使徒行伝10
章のコルネリオであった。だから、私の所属教会は、コルネリオ会だったよう
に思われる。- 3
叶
2. コルネリオの友
5 4年4月から、市ヶ谷の幹部学校に入校する機会があり、丁度、統幕学校
に入校されていた矢田部兄と同じ建物に約4ケ月通ったことがある。岡見との
食堂、契茶店での出逢い、東北学院大学の、倉松先生を囲んでの美竹教会にお
ける集会、松戸の新居訪問等の一つ一つが、愚かな私にとって励みであり、勉
強となった。また、空幕勤務の森田兄、滝原兄とも桧町で食事をともにする機
会があった。森田兄は、ポーランド駐在武官要員として、当時上智大学でポー
ランド語の猛レッスン中であり、共産圏-の若干の不安について語り合ったこ
とが昨日のように思われる.現在、ポーランドの混乱状況を千一ユースで知らさ
れる度に,岡見の同地での主にあるど活躍を期待するとともに、身の安全を祈
念している。
3.八戸と米軍
5 4年8月、約9年間勤務した電算機部門を離れて、八戸の会計隊勤務とな
った。八戸では,近郊に海上自衛隊、航空自衛隊、それに在日米軍が所在して
いたので、コルネリオの友も多いものと期待して赴任した。早速、八戸市の柏
崎教会、小中野教会、三沢市の大三沢教会を訪問、教区の牧師にも伺ったが、
期待外れであった。しかし、三沢米軍基地のチャペル礼拝には時々出席してい
たので、多くの米海、空軍将校との信仰の交わりを持つことができた。特に、
ウッド中佐(チャプレン)、ロンドプラド大佐(軍医長)、プレイロック中佐
(基地病院長)には大変お世話になった。これは、私の海外旅行にも大いに役
に立つこととなった。
4.海外における交わり
55年秋、ホーク部隊年次射撃支援要員として、米国テキサス州フオートブ
リス陸軍基地に出張する機会があった。人口約5万人の軍人、家族が住んでい
る同基地には、プロテスタント、カソリックそれにユダヤ教のチャペルが合せ
て10ヶ所もあり、私も基地のセンターチャペルの礼拝に2回も出席できた。
このチャペルでは、人員の関係で9時と1 1時の分割礼拝であったことと、サ
マータイム(夏期のみ1時間基準時間より早くする)の切替日であったので、- 4
5′
1 0時のつもりで行ったとこが9時に間に合った。また、 1回目が終って挨拶
をし、コーヒー・ブレークに誘われているうちに、 2回目の人と一緒になり、
また、礼拝堂に入っていた。おかげで、白人、黒人、日系、メキシコ系の多く
の軍人家族と滞在間に、唯一の聖日を楽しく過ごすことが出来主に感謝してい
る。
5 6年8月は定期異動のため参加が危ぶまれていた、第1回A.A.C.F国際大
会にも神の御恵みにより、赴任と同時の8月6日、無事参加することができた。
1 5ヶ国の0・C・U.メンバーが、寝食をともにした1週間のシンガポール国軍施
設での交わりの生活は、実にすぼらしかった。信仰は一つ、世界は主にあって
一つであることを痛感した。また、 “平和”とは何か。国際平和の達成のため
に我々は何をなすべきか。について考えさせられるとともに、日本コルネリオ
会の存在の大かつ、重要さを知らされて帰国した。
最後に、 1 5年間のttコルネリオ会と私”の歩みは、本当に貧しい信仰でし
かなかった私を、コルネリオを目指して、少しでも近づく者とさせて頂けた。
これまでに得た、多くの貴重な体験も、 40年にコルネリオ会に入会して、武
田先生、今井現会長をはじめ多くの先輩のご教導の賜物であると思われる。現
在の私は、自衛官として、 q誇るならコルネリオを誇れ./”をモットーに、隊
務に,信仰生活に励んでおる次第である。 (完)
* 外国AMCFからのクリスマス挨拶
矢田部 稔し陸幹校)
1.世界各国AA4CFメソノミーからクリスマスの挨拶をもらいました。そのうち
2通を紹介します。はじめの方はケニアのセイイ陸軍少佐からのものです。私
は同少佐夫妻に1 976年米国での世界大会ではじめて会い、次いで1 980
年英国での世界大会で再び会いました。英国大会では、彼は6日間の早天祈商
会の司会者をつとめました。すぼらしい信仰の持ち主です。
あとの方はフィンランドのジャルカ退役陸軍大佐及びラッピ陸軍大尉(共同
発信)からのものですo シャルカ大佐は1 980年英国大会のフィンランド首- 5
£
席代表であり、同国AMCF状況の報告を趨当しました。その時私が同国AM
C Fのための祈頑を担当することとされ、演壇に出て(日本語で)祈ったこと
でした。そのようなことがあって大会の期間中何回か話しをし大会の後でもこ
のような交わりがあります。
- 「ケニア軍隊キリスト者会から全世界の軍人キリスト者会-:心からなるキ
リスト者としての御挨拶を申し上げます。私達は神から祝福と加護を受けてい
ることを感謝しております。 1 980年の英国大会に出席したケニア代表はそ
の際の多くの思い出を大切にし、又、そこに出席できたことについて神を讃美
しています。はや一年が過ぎ去りましたが昨日のような気がします。そこで買
い求めたカセット・テープは単に記憶を思い出させるものであるだけでなく霊
的な感動と豊かさの源泉です。
この手紙により、ケニアがAMCF全アフリカ大会の開催を担当する栄誉を
与えられたとのニュースをお伝えします。正確な日程は未定ですが、 1 982
年8月中旬です。この種の大会を計画し組織し実行することは私達にとって全
く大変なことです。あなたがた兄弟達が私達のために絶えず祈って下さること
を願っています。私達はこのことについて国防省の了解を得たことを神に感謝
しています。国防省は好意的であり私達が管理上の問題の打開がむつかしいと
きは便宜を取り計らうことを準備してくれています。これは私達の予期しなか
ったことであり、まったく感謝です.私達のAMCFアフリカ地区議長-メド
ゥ中将は、最近ケニア軍参謀長と大変真心のこもった成果の多い会談をしまし
た。感謝です。
御承知のとおり、アフリカ大陸が昨年の大会に沢山の成長を送りえたのは英
国OCUの御毒力のおかげです。英国OCUが大会参加を勧誘するためアフリ
カ諸国に巡回使者を派遣したように、私達も適当な国に対し類似の訪問をしな
ければならないと思っています。そこでこの線に沿ってあなたがたのできる何
らかの方法で私達を助けて下さることを慮っています。
この情報があなたがたのニュース・レターやその他の手段で他の方々にも伝
え拡げられるならば幸と存じます。敬具 1 981年10月28日 ケエア
ー6
7
AMCF幹事セイイ少佐」
3・ 「AMCF会員-:フィンランドの第65回独立記念日にあたり、主イエス
●キリストにある親愛なる友人であるあなたがたに御挨拶を申し上げます。フ
ィンランドは1918年12月6日に独立しました。 1918年、 1939
1940年及び1941-194411945年の3回の戦争を経験しました.
申命記8章1-5節は近年そうであるだけでなく何百年も前から私達にとって
親密に思う御言葉です。最後の戦争の後、数多くの重大な事件があったにもか
かわらず神は私達にすぼらしい祝福を与えて下さいましたoそれはキリスト信
仰のリノ’lJfノミルの特別な時でした.そして今日私達は申命記8章1 0-1 6節
の御言葉のように確かな感謝のうちにあり続けているかと反省させられます。
私達が誇れるもりは何もありません。しかし昨年-吹きの風が全国土を吹き抜
けましたoそれは強大なものではありません。しかし長続きのする聖霊の風で
す。本年1 1月13-15日、将校と下士官のための集会には「あなたがたは
独りではない」との御約束のもとに1 50人が集められました。そこにスウェ
ーデンの二人の兄弟、フレッド・ステン-マ-退役中佐と軍隊付牧師–カン
●ゼッテルクウイスト博士に出席してもらうことができました。集会は祝福さ
れたものでしたoいろいろ話し合った中で私達はスカンジナビア地区大会のこ
とについて話しました。私達は地味なスタートをとるでしょう。そして神の導
きを待っています。もう一つの祝福は、予備兵(私達の国は徴兵制度による軍
隊を待っていますo )に対するボランチア組織の中にキリスト教の働きを適
合させる計画を作ったことです。私達は若い代表にもっと責任を持ってもらう
ように考えています。このために祈っています。 シンガポールからの報告、
ケニアでの活動、私達の兄弟-メドゥ中将に関するニュース、 ACCTS(
Association for Christian conferences, teaching and service )の伝道
旅行等々へと話題が繰り拡げられました。土曜日(集会の中日である1 1月1
4日のこと)は全世界に出かけてゆく交差点のようなものでした。それは地球
をわずかな時間で安全に旅行するような感じであり、私達の救い主キリストに
あってすべてがひとつである兄弟愛の応答を全体的に見出すような感じでした。- 7
.
それは愛と感謝と真の平和への働きの何と輝かしい輝きであることでしょう。
敬具 1981年12月 J・ジャルカ退役大佐、 R・ラッピ大尉」
畿 鶴川福音教会の献堂によせて
会員滝口厳太郎2空佐(気象群本部)から鶴川福音教会献堂記念のパンフレッ
トが送られて来た。これを通して滝口兄の教会活動の様子がうかがえるので一部
をど紹介する。
この中で当教会の現任牧師である原田憲夫師が「よきおとずれを告げ知らせて
きた人の足跡」と落して昭和43年4月エンゲルモー宣教師が町田市鶴川の地に伝
道を開始されてから以来の教会の歴史を述べておられる。これによるとリーベン
ゼラ日本伝道会の第2 6番目の開拓伝道として持田伝雄牧師を迎えて天幕集会を
行なったのが伝道の始まりであった。そしてこの年昭和4 3年の礼拝出席者は平
均3名、 C Sは5名という事である。次の年も新しく開発された鶴川団地を対象
に井出定治牧師、井戸直彰牧師等の協力を得て伝道、礼拝出席は平均7名、 CS
2 3名となった。滝口厳太郎兄が転入会して来て教会員第一号になったのは昭和
4 6年2月となっている。この年も田辺正隆牧師、山口昇聖書学院々長や神学生
の協力を得てC Sが盛んとなりこの年の礼拝出席者平均1 0名、 C S40名とい
うことである。そして昭和48年開拓伝道開始から6年目に初めての受洗者を出
す喜びを報じている。昭和4 9年3月滝口兄の夫人きぬ子姉が受洗、以後滝口家
のクリスチャンホームとしての奉仕が始まる。昭和53年4月原田牧師が着任、
この年礼拝出席平均1 4名、 C S30名であった。昭和54年教会規則によって
初代の役員を選出、滝口兄は会計担当役員として奉仕する。同年カナダ出身のフ
リーゼン姉がELIスクラム伝道のため当教会に奉仕、その間滝口兄姉はそのホ
ームステイを引受けその働きを助けた。
昭和5 5年1 0月二俣川キリスト教会を牧会して来た久利英二牧師が聖書神学
舎専任教師となるため牧会を辞して、この教会に転入会して来た。先輩の牧師が
後輩の牧する教会に一会員として協力するため一家をあげて移って来たのである。
この年礼拝出席平均20名C S27名、そして昭和56年9月木造モルタル白壁- 8
†造りの新会堂を献堂する事になった.次にこのパンフレットにのった滝口兄の一
文をのせる。
「理想の会堂」 滝口厳太郎
動物は生まれて最初に見た動くものを親と思い自分の行動の基準として真似を
するそうである。私が最も古くたどれるのは小学校や幼稚園ではなく、旧満州に
おける日本メソジスト奉天教会の日曜学校の幼稚科当時である.
幼時の印象はすべての基準となりやすく、会堂建設の上でも理想を考えると、
どうしてもこの会堂に帰納される。この教会は大会堂、小会堂、図書館、応接室
その他の部屋を持ち、牧師館は別棟であった。また交通の要点にありながらも静
かな所にあり、会堂の前には公園があって日曜学校の生徒は集会前後にここで時
間を取ることが出来、礼拝終了後、家族そろって帰ることが出来た。
この度,内外の多くの兄弟姉妹の尊い祈りと献げものにより、スペースを考え
可能な限りの機能的な会堂が出来あがり喜ばしい限りである。しかし私はこれが
最終の姿であるとは考えない。また次の発展が必要であり、交通の便、駐車場、
教会学校の子供達の待機出来る場所を充分に考え、会堂としての理想を再び皆で
祈り求めたいと思う。
糠 シンガポールAMCF会員陸軍少佐タン・-ン・キー御夫妻の来日
1 981年8月来日、約1年の予定で防衛研修所に入所しておられます0 AM
C f’シンガポール大会では日本代表が大変お世話になりました。
住所:〒150 渋谷区渋谷1-1 9-5美竹マンション403
(でEL 03-407-2147)
畿 通 信
o 滝元 明師(日本リノリノミルクルセード主幹、イエス福音新城教会牧師)
「万軍の主は飛びかける鳥のようにエルサレムを守り これを守って救い出し、
これを助けて解放する(イザヤ31 :5) _主イエスキリストの型名を賛美しま
す。いつもコルネリオ会ニュースレターをお送り頂きありがとう御座います。今- 9
/0
日ゆっくりとNo・32号を読ませて頂きました。私は九月西ドイツ・フランス.メ
イ国に住む日本の友のために伝道に行って来ました。帰国してすぐ北海道・東京
と忙がしくしております。
コルネリオ会がますます祝福されて多くの人々が救われて群の中に加えられま
すようにお祈りさせて頂きますgj
o 森田忠信兄(ポーランドワルシャワ駐在o外務省一等書記官・一等空佐)
「コルネリオ会の皆様-」
クリスマス、新年おめでとうございます。 1981年12月20日のクリスマ
ス礼拝を戒厳令下のワルシャワ、スクレミヤスト(旧市街)の聖アウグスト教会
に30分程出席して・ポーランド人と共に守り・地上にそしてこの国民の上に平
和があるように祈りましたo混乱は続いていますo戦車と銃剣で一つの態勢を維
持しようとしても心がある民をそれに従がわせることは極めて困難です。
私達家族は皆元気で無事ですo会報および米国のニュースレター受取っていま
す。
平安を祈ります。
オ~スト1)-、ウィーンの日本大使館気付ベルリンにて。
o 津田洋二兄(東方防衛部・2陸佐)
いつもお便りを有難うございます。元気でやっています。コルネリオ会の益々
の発展を祈ります。
o 市川武功兄(いのちのことば社・元陸曹)-レルヤ!いっもニュースレターをお送り下さり感謝しております.特にJM
3 1号は各国の康子を知ることができ嬉しく思いました。少額ですが誌代として
献金いたします。
○ 有本優兄(-,りロ、コルネリオ・元3陸佐) (完)
コルネリオ会のニュースレター有難く拝見,多謝。毎日貴会の御発展を祈って
おります。
現在聖ミカエル会に所属して、時々防大のカト研の方々とお会いしております。
仕事が多忙のため信者としては落第生ですo何卒よろしくお導き下さい。-10
//
○ 三上賢一兄(元陸准尉)
御名を諌美いたします.越田兄を通してコルネリオニュース頂きましたo私儀
この度再度の北部方面会計隊本部勤務を最後に思い出多い陸上自衛隊を停年退官
いたしました。昭和2 5年8月、警察予備隊入隊以来3 0年有余の在職期間を会
計職種ひと筋に、そして札幌市周辺で勤務させていただきました。再転職は江別
市に5月1日より開院されました鷲見整形外科医院と決まり、第二の人生をお陰
様で快的に勤めております。今後共何卒よろしくお敬い致します。
義 トック師を迎えての集会
米国OCFの伝道者トック(T血tloglou)師が来日された。 1 98 1年9月14
日(月)成田着、当日は矢田部兄宅に宿泊、翌15日(火)13:00より東京
都小平市学園東町の日基小平教会(石岡記念教会)に於て聖書ゼミを行った。当
日は敬老の日で休日であったのでコルネリオ会々貞および小平教会々員十数人が
集まり「祈り」についての熱心な共同研究が行なわれ大きな祝福が与えられた。
集会には小平教会員である堀素子姉が通訳をして下され、その信仰に根ざした流
暢な通訳は適確な理解によるその場の祝福を更に大きなも7)とするのに役立った。
海外からの正しい福音をどんどん吸収するために語学の障壁を如何に乗越えるか
が重要である事を知らされた。 ′J、平教会には控えの福音通訳者が更に一人いる事
は強みと言うべきであろう。なお当日シンガポールのタン少佐が遅れて参加され、
国際色豊かな集会となった事は祝福であった。続いて1 8日(金)、 1 9日(士)、
20日(日)と三日間トック師を迎えて奥多摩古里にあるりベンゼラ教団福音の
家で日米合同の研修会が催された。 18日18:00受付、自己紹介の後、トッ
ク師による五回の連続講演が行なわれた。今回は語学の障壁のため噛んで含める
ような会話となった。お蔭で信仰の内容はいやと言う程お互いに確め合う事にな
り、米国人といえども話し方でうまく言い抜けるという事は出来なくなり、意志
の疎通という点では申分ないという結果になった。何が祝福をもたらすかわから
ない。
その間にコルネリオ会の総会が開かれ8 1年度の主要会務の報告と8 2年度の-ll
I
)2.
役員の選出があった。そして20日(日)の聖日礼拝をもって合同集会の幕をと
じた。
合同集会参加者氏名
〔日本側〕 矢田部稔兄夫妻、滝口厳太郎兄夫妻、武田妙子姉、滝原樽見、武
宮啓夫兄、堀内侯樽見、玉井佐源太兄、今井健次兄夫妻。
〔米国側〕 Lt. Col. Aqeeko夫妻、 Lt.Col.Lampkin夫妻, Mr. Harsha夫
妻、 Cap. Chan. Mr. Maddox夫妻、 Chap. Cole, 1Lt.Ginnel、 A4iss Sophia、
Rev.TOR
(コルネリオ会新役員)
会 長 今 井 健 次
執事(書記) 滝 口 厳太郎
執事(広報)兼 今 井 健 次
執事 滝 原 博
執事し幹事) 矢田部 稔
執事(会計ノ 志 賀 正 吾
執事(渉外) 堀 内 侯 槌
小平教会に於ける集会(左より矢田部兄、今井兄、堀姉、ドック師、タン兄、
ラビ-グ姉、玉井兄、ラビニグ宣教師、堀内兄)
コルネリオ会事務局( JOCU)横須賀市走水-丁目
振替 東京・3・87577 防衛大学校応物教室
今 井 教 授 気付
(発行責任者 今 井 健 次)