ニュースレターNo.103

「軍人キリスト者」国際大会雑感(その四)
元コルネリオ会会長 工学博士 今井健次

Cal とLinda
「米国海軍大学院において応用飛翔体工学に関する研究を
行うためアメリカ合衆国に出張を命ずる」という命令を貰って、
Monterey にあるNaval Postgraduate School に交換教授とし
て出張した訳だが、内容は前回のとおり、二人の男の子を持つ
海軍少佐Cal.Dunlapの所へ家内と二人で、同居した訳である。
ところで到着してやっと交通にも、生活にも慣れたと思った
頃、ある日突然、明日再婚の相手の婦人が、男の遺児二人を連
れてやってくるという。その話は先に,OCFの幹部Cleo
Baxton と言う人の仲立ちで決まっていたようで、先にOCF
の或る陸軍士官が夫人と二人の男の子を残して亡くなられた
らしい。この夫人がLindaで、今回Cal.と婚約という事にな
り、正式に家族見合いという事になったようである。
さてその日は日曜日であったが、午後から何やら忙しくやっ
ていたが、午後11時すぎ、Lindaが二人の子供とともに飛行
場に到着。家は車で20分位と近いので、直ぐDunlap家の応
接室で寛ろぐことになった。
それからどうなるのかと見ていたら、Cal.の二人の子供のベ
ットを空けさせて、Linda.の二人の子供を入れ、Cal.のベット
は空けてLindaを入れる。そして自分と子供二人は、3個のス
リーピングバッグで寝る。ということで収まった。翌朝下に降
りてみたら,Linda.は既に台所に出て食事の準備をしている。
Cal.は出勤というので、8時半には家を出る。私も出勤。その
日、家内はLindaと一所に、買い物に行ってきたそうで、何を
話したか知らないが、結構うまくいっていたらしい。それから
四・五日は映画を見に行ったり、メキシコ料理を食べに行った
りしていたが、昼間Cal.が長い時間Lindaの部屋に入り込ん
で何やら相談しているらしく。子供達は手持ち無沙汰にしてい
た様子であった。
そして四日目頃の夕食の後、全員応接室に集合する事になっ
た。そこでCal.から今回の再婚についての説明があり、1人1
人に意見を聞く。それほど嬉しそうなのもいなかったが、反対
の者もなく。めでたく新家庭成立ということが宣言された。
そこで私にも一言挨拶をしてくれと言われるので。「OK.
ただし明日の朝します。」ということで,その日の行事はおわ
った。 その晩は遅くまで辞書と首引きで名文を作り。明朝、
食事前に四人の子供達に小さな贈り物と共に、祝福された家庭
を構築する事の説教を読み上げた.みな熱心に聞いていたよう
だったが。後でCal.から感謝された。
新婚旅行は8月ということで、Lindaは間もなく二人の子供
を連れて帰って行った。

米海軍技術研究所
P.G.S.での共同研究も終わりに近づいた四月下旬になって、
Prof.Fuhs.が突然、技術研究所に行ってみないかと言い出した。
500マイル離れたネバダ砂漠の中のChina Lakeという所だ
というので、少し恐れをなして、あまり行きたくないと答えた
ら、後からイスラエルのDr.Amichaiがとんで来て、どうして
こんな良い機会を断るのかと言うので、やはり行く事にして、
その手続をする事になった。公務出張という事で,Prof.Fuhs..
夫妻とDr.Amichaiと私の四人で500マイルを車で往復する
訳だが、Prof.Fuhs.が1人で運転すると言うのだから、この積
極性は一寸真似出来ない。
早朝出発したのに、途中色々な所を通って、夕刻到着した。
食事の後、宿泊の各部屋に案内された。大きな部屋で1人で、
ソファーやテーブルは勿論。ダブルベッドが2台置いてあると
いう具合で、これが豪華だということなのだろうか。翌朝は6
時半に集合 N W C (正式名称不明)の正門から入り,一人
一人慎重な検査の後、所内説明を受けた後、夫々の部門の所へ
行くことになった。我々はラムゼツトの部門からはじめて、関
れに必要な施設も整っているということであった。各研究室の
係の有る色々の部門に行って色々相談したり意見をのべたり、
前からの案件を論議したり、と忙しい。私もDr.Amichaiも余
り話しが出来ないので、これらの議論には入れず、聞くだけの
ようだが、然し何となく議論の内容は分かるので色々参考にな
った。色々な専門家がいるので、これらが自由討論したら新ら
しい発想がどんどん出て来るかも知れないと思った。この研究
所には200人近いPh.Dが、家族と共に住んでいるそうで。そ
内部は見ることが出来なかったが。或る部屋には木の林が出来
ていたり、屋内屋の様なところに何をしているのか研究員が居
たりで、研究はかなり自由な形でやっている様であった。砂漠
の日も傾き掛けたので,急いで帰路に着き、サボテンの道を通り
抜けて町の光が見えるようになってほっとした。Dr.Amichai
に日本にはこんな所は無いと言ったら,うらやましい国だと言
っていた。(続く)

夏の思い出
<防衛関係キリスト者会>
コルネリオ会 会員 鈴木 健一

しい昨今、まったく次元の違う天の取り扱いがあるこ
先回の防衛関係キリスト者大会は東南アジア・10カ
国のキリスト者・軍関係者の集まり(中共は除く)で
言語や過去の歴史のこともあり、初めは必ずしも深い
コミュニケーションが取れているとは言えず気をもん
でいました。
これは本当にキリストと皆様に感謝したいことです
が、賛美奉仕者の森祐理姉妹(NHKの 歌のお姉さん;
キリスト者)はどんな外交官にも勝って日本の心と天
の消息を伝えてくださいました。阪神大震災でなくな
られた弟様のことを語られ、「兎追いし、かの山」の歌
で「この”忘れがたきふるさと”は作者が天のふるさ
とのことを読み込んでおられるのですよ」と語られた
時、わたしの見た限りでも、多くの外国軍人の方が涙
を流しておられました。私も涙が止まらず、「なんとす
ばらしいキリストはこの姉妹を会に遣わして下さり、
私たち一同の傷を癒して下さったことか!」と感謝が
尽きず、人の深心を癒してくださる音楽の戦士を産み
出して下さった天の御父に感謝と賛美をささげること
が出来ました。
数カ国語を用いて密度のきわめて高いコンサートを
準備していただいた、ご努力に想いをいたすとともに、
すべてを助けてくださったのは聖霊なるキリストであ
ることが、だれの目にもあまりにも明らかでした。キ
リストの聖名を称えます。
北は網走から南は台湾の台中の刑務所までボランテ
ィアの慰問コンサートなどをしておられます。
すばらしい聖霊の器として姉妹を用いてくださったキ
リストの超絶的な御力を称えます。歴史認識論争の喧
とを知りました。感謝がつきません。日本の行くべき
方向を示されたように思い、日本の将来に希望を見出
しました。本当に感謝しています。
<台湾の若者たちの姿>
台湾の大学生のキリスト者サークルが昨年6月末か
ら7月中旬まで来日し、日本のホームレスや老人ホー
ムの方、一般市民に伝道してくださいました。名付け
て「LOVE JAPAN」というプロジェクトを自費で敢行し
てくださいました。どこの国の若者が、日本の為にこ
んな事をしてくれるでしょうか? 感謝がつきません。
山梨では自殺の名所と言われている上九一色村の付
近に車がさしかかると「祈りましょう」といって自発
的に祈ってくださいます。すべてに祈りをもって当た
っておられる若者たちの姿を見て、私は恥じました。
まさに先のものが後になる、ということは本当でした。
信仰は年齢ではないと思いました。
T 姉妹(大学生)と言う方は、6月末に日本に来て横
浜を拠点に28名の仲間とともにホームレスを慰問し
たり、ワールドカップに合わせてトラクトを路傍配布
したりしてくださいました。トラクトは40%ぐらい
の人々しか受け取ってくれません。T姉妹は、はじめは
「自分は将来日本に住みたい」などと大変な意気でし
たが次第に元気をなくし、ホームシックにもなり「自
分の力の限界を知りました。台湾に帰りたい。」などと
言うようになりました。
ついに山梨では心因性か腕が上がらなくなってしま
いました。山梨では老人ホームを訪問し一人一人の老
人を抱きしめてあげたり、炎暑の中、国道沿いの坂道
を登って農家の集落を一軒一軒訪ねたりしましたが、
た。しかし余緒音姉妹はそんな私をお母さんのように
挙がらない肩の痛みでこのときが一番つらかったよう
です。わたしもその小班の日本人スタッフでした。
「この子達の労苦を、どうか主よ覚えてください」と
の祈りが沸きました。谷の清流を見つけ、しばらく小
班を休んでいただき、T姉妹の手を流れに浸させ、少し
水をかけてあげて、”水は水にあらず、神の霊をあらわ
す事”などを話すひと時がありました。帰りの車で薬
屋を見つけ筋肉消炎剤の張り薬を購入したりしました。
本栖湖の最後の集会ではT姉妹は泣きながら「自分
はクリスチャンホームの出身ではないし、1年半前に
キリストを受け入れたけれども、みんなが賛美して踊
っている様子を見ても、今までは何か不自然に感じ入
り込めませんでした。けれどもそんな喜びを自分も欲
しいと思いました。洗礼を受けるには抵抗がありまし
導いてくれました。今回一緒に日本にきて自分は心が
変わりました。生涯かけてキリストに従っていきま
す。」と証をして、本栖湖で洗礼を受けられました。
そんな最高のハプニングがありましたので一同涙涙
の祝福いっぱいの集会となりました。一人の魂が回心
し献身するとき、天では大きな喜びがありますが、こ
の地上でもこんなに嬉しいことはなく、この歓喜を体
験できたことは私にとっても祝福でした。
今もそのことが心を潤しています。自分以外の魂の
祝福を願ってそのために労することが出来れば、人の
一生にとってこんな光栄はありません。ケア―するつ
もりが逆にケア―されたのは私の方でした。
天の祝福が皆様の上に豊かにありますように。

続『以徳報徳』訪台記 コルネリオ会 会員 滝口 厳太郎

図らずもニュースレターに寄稿した私の文のタイト
られていない国情はお互いの理解に大いに役立つ事と
ルは3回続けて4文字熟語になりました。ニュースレ
ター57 号をホームページで見ると『漢字の不思議』を
見る事ができます。今回のInteract を含め2つの集会
で気になったのは文字の国で行われているに関わらず、
主なパートは漢字が使われずに英語,英字だけで済ま
されそうでした。二十数人の参加者で辞書を引きなが
ら話を聞いている人は私一人でした。私にとってある
米人講師の言葉が特にわかりにくかったです。集会の
内容は将官1、大佐2、経験豊かなVIPが参加するに
しては初級幹部に対するマニュアル信奉的な指導法で
あった。聖書の引用カ所もエペソ6章が基本で、China
Initiation でも用いられました。
今回、防衛大の学生を出席させる予定が、図らずも
私が出席する事になりましたが内容的には、若い人向
きといえると思いました。
このことを元に、次回日本で開催することを考える
と一般的な見方として、英語の理解度は、フィリピン,
台湾、韓国、日本の順(モンゴルは両極)と言われていま
す。従って国内参加者用に通訳かアシストが必要と考
えられます。
各国事情の説明の時間は特にモンゴルなどあまり知
思われました。私は漢字を使い星田光代師の説明をし
ました。日、韓、台は漢字を使うと適切に説明できま
す。
証は5分でするように設定されました。『数えてみよ
う主の恵み』という賛美歌があります。『数え切れない
主の恵みを5分で語るのはいやだ』と言いたかった処、
終わりまで私の順番は回って来ませんでした。
高齢者は列外なのだなと思っていたところ、場所は
変り高雄での最終日、大ホールの講壇上で卒業証書授
与式がありました。いきなり私の名前を呼ばれたので、
中央から壇上に飛び上がると、他の人は端の階段で呼
ばれるのを待っていました。しまったと思った時、『サ
ムライ』と言う声が聞こえて来ました。
証書を受領する時、まだ証を終えていないと言うと、
授与式の後に証の時間を与えられました。内容は前号
で紹介の通り『以暴報恩』です。ところが肝心のこの
言葉を日本で英訳準備していなかったのです。証の準
備時間に台湾の参加者何人かに英訳を聞いてみました
が,適訳が出来ないのです。やむを得ず英語の上手い
莫徳政兄に聞いてみました。彼も辞書を引きながら
『Revenge by kind』と表してくれました。とにかく招
いてくれた台湾の方、蒋介石総統、主なる神に壇上か
したら、お互いにしたいことをすると言う約束でした
ら感謝を捧げる事が出来たのです。
表意文字は表音文字と異なり,見ただけで深い意味が
解るのです。
今台湾で横文字名が流行っています。この集会で人
の名前を覚えるのも一つの努力目標でした。若い人は
ほぼ全員の名前をすぐ覚えます。私の年代になると何
か特徴付け無ければ覚えるのは厳しく、漢字名は覚え
やすいのですが横文字は困難です。China Initiationで
も若い台湾人牧師の流暢な英語がわからず、つい辞書
に手をかけると隣席の北京で農業指導をしていると言
う方がすぐ漢字で意味を書いてくれました。この方の
中国語も、英語も私に良くわかりました。
話の中に地名、人名が出てきます。台湾の人に漢字
で書いてもらうと私がイメージした字と各々違います。
レジメに書いてあるローマ字名も正確に表現できない
のです。発表者の言葉だけでなく文字を書いて説明す
るように求めて所、同調する人がかなり居て良くわか
るようになりました。最後にダンラップさんが要点を
漢字で表した資料は文字が少なくても一目で理解でき
る内容でした。
この集会で、アジアの諸国は、シンガポール、フィ
リピン、韓国、台湾共々さまざまな方法を用いて中国
宣教を企画し、祈りを捧げている事がわかりました。
日本も共に携わり祈って参りましょう。

聖書と私(第3回)
コルネリオ会会員 ブラジル宣教師 下桑谷 浩

「主はこう言われる。」あなたがたはわかれ道にたって、
よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかをたず
ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、
安息を得よ」
(エレミヤ書第六章一六節)
今回は、神学校入学についての証です。自衛隊生活
二〇年、信仰生活八年三八歳の春三月、牧師から「今
春から神学校に、夜間部が開校したんだ。夜だし働き
ながら学べるし、よい機会だと思うがどうだね。まあ、
祈ってみなさい」と。考えてもいなかったので、驚い
たが、早速に妻に話をする。「この子(三女)が大きく
なるまでは困ります。それに子供たちがそれぞれ独立
よね。」と。二の句が出ませんでした。やはり仕事、家
庭、学問は欲張りか。それに健康、お金、学力など、
問題の山だ。願書の締切りも迫る。牧師への返事はど
うする?何日も悶々とした日が続いた。
最後に残された手段は、クリスチャンおきまりの神
の御手を確かめる祈りである。妻は留守、三女を抱き、
聖書を読むこと数時間。ついに捕らえられる。頭書の
み言葉がそれだ。「良き道」とは、天地創造以来、神の
言葉と聖徒達によって預言され、救い主キリストによ
って啓示され、多くの弟子たちが実践してみて、すべ
ての民に最もよいものと証明された道である。勿論、
疑義を抱く余地はない。万事休す。無条件降伏である。
あとは一本道を進むだけでありました。
やがて時は流れ、五年の後、専門科を卒業。働きな
がら副牧師を一〇年、自衛隊を退官後、ブラジル日系
人の宣教の召しを受けて一二年、現在も、その庭に立
たせて頂いておることであります。
しかし、手放しで申し上げている訳ではありません。
今の私があるのは神の恵みと私の働きのために理解と
協力と献身の限りをつくし続けてくれている妻や子供
たちを抜きにしては語ることはできません。
さて、この「良い道」とは十字架の道です。そして、
その道は狭いけれど命に至る道です。人生には何度か
分かれ道に立つことがある。選択を誤ると、さすらい
の旅である。
願わくは本書の読者諸氏が生命への道を選ばれ、魂
に安息を得られるよう切に祈るものであります。
献金感謝 (2003.8.16~2003.11.23現在)
今回も多くの愛する兄弟姉妹から尊い献金をいただ
きました。心から感謝申し上げます。ありがとうござ
いました。
(敬称略)
山下和雄、今井健次、滝口厳太郎・きぬ子、中野研精
中山輝三、飯塚正実、韓国MEAK、蔵谷三郎、北川政雄
足立順二郎
皆様のご意見、ご感想をお待ちいたしております。
匿名でも結構です。自由なご意見をお寄せ下さい。
(編集子)

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