徽 国家防衛論(1)
最近内外の国の人達と国家防衛について意見を交換する横会があったので,そ
れについて考察してみたい。
先日米国海軍大学院に於てイスラエルから来た一人の研究者といつも顔を合わ
せて共同研究をすることになった。その人はDr.Amichai というイスラエル国防
省附属武器開発庁の研究開発部長で、現在米国海軍大学院の研究協力教授として、
既に一年以上新型中距離小型ミサイルの研究に従事している。彼はその基本設計
に意欲的に従事し従来からのあらゆる技術を取入れて.この新しい兵器を完成し
ようと努力している様子がうかがわれた。彼が或る日学校の昼食会で講演をする
ことになり,古いイスラエルのマサダ遺跡についてスライドを用い、パンフレッ
トを配って説明をした。このマサダは紀元70年にローマ軍の攻撃によってエル
サレムの神殿が完全に破棄され、 1 3 0万人のイスラエルの民が殺された時にエ
ルサレムを脱出した約1,0 0 0人の人達がたてこもった砦のあとで,そこは陥落
するまで三年間持ちこたえ、最後に約5 0 0人の婦人子供を含む人達が集団自害
をして果てたという遺跡で、それが現在のイスラエルの自由のシンボルになって
いるという話であった。異民族に囲まれた中で新しく建国し、砂漠の中に水を引
いて良地を作りながら開発を始めているイスラエル国は、四面海にかこまれた我
国にくらべたら、その環境条件ははるかにさびしいものがあるであろうし,防衛の
面から見ても一寸の油断が国家の飼湊につながるという危棟観が強い事と思われ-I
る。彼等の先祖が如何にして国を守ったかは旧約聖書の教える所である。初めにエ
ジプトを出発してパレスチナに向った指導者モーセは神の人というので聖書では神
から直接の啓示を受けて行動した事が書いてあるが、その後継者ヨシュアはむしろ
律法を守ることによって神に従う人として書かれている(ヨシュア 1 :8)又そ
▲
の後のイスラエルを守って来た人達も多く神の律法を守ることによって外界の敵か
ら国を守って来た。羊飼いの子から身を起こしてイスラエルの王となり始めて国を
統一したダビデ王はその著書と言われる詩篇の中で主のおきてに従う事が如何に祝
福であり、且つ国に平和をもたらすかを歌って神を叢美している。そして今イスラ
エルの国は再興しイスラエル国民はその防衛に熱心に立ち向っている。今の律法と
は何であろうか、主に従うとはどういう事であろうか、これがイ大ラェルの課産で
あろう。
つぎに日本の防衛について考えてみるとb
今回の旅行で偶然にも日本から留学している三人の学徒と共に或る日ドライブを
楽しむ機会があった。二人は私立大学の経済学部の教授でありもう一人は国立大学
の法学部の助教授であった。こちらは防衛大学校の教授なので始めから防衛論争が
計画されていたようであるがー車中での三時間程の間の話合いでわかった事は日本
の外敵からの防衛について誰もはっきりとした予想を持たないという事,具体的な
対策に関しては殆ど知識を持たないという事、抽象的な理想は持っているようでも
現実に合わないので理論が直ぐくずれるという事であった。しかし外地での会合の
ためか、国防の必要性を認めない者は居ないので結局どのようにして守るか、とい
う事になった。
現今は科学の発達によって交通は便になり世界はどこでも極めて近く又情報が正
しく伝わるならばどこにいても世界中の様子を知ることが出来る。これは世界が隣
近所という状態になった事であろう。
今やこのような世界の機構の変化にともなって各国家間の利害関係処理の上にも
変革を必要としているものと思われる。旧来国際関係に於ては武力による力関係が
その紛争解決の手段のように考えられて来た。歯には歯をという考え方である。し
かしこの考え方は既に古いのではなかろうか。旧約聖書の時代にはこのような考え-2
方もあったが,今や新約聖書による福音が世に来て既に久しい。この福音を正しく
理解するならば国際間でもより正しい人類の幸福につらな’る解決法を見出されるの
ではなかろうか。
現在世界の二大軍事勢力と言われる米国民もソビエト人民も共に元々聖書に無縁
な人達ではないのだから、先づこの二大国間に福音に基づく話合いのきっかけを作
る事が出来れば世界の進む道は大きく変わるのではないかと思われる。その先導と
して東洋では慈悲と仁の精神が、西欧では人道主義の精神が唱えられて久しい。核
兵器装備に必要なエネルギーの半分を荒地開発食糧増産に振り向けるならば世界の
懸案事項の大部分は片つき、荒野に水がわき、さふらんの花が咲くことになるので
はなかろうか。 (イザヤ 35: 1)
畿 アメリカに旅行して(その1 )
今井健次(防大)
(1)プロローグ
本年2月から4月にかけて3ケ月間、米国カ1)フォル-ヤ州 Monterey に
ある海軍大学院に出張する機会があった。その間公務の合間に、他国にあって種
々の体験をすることが出来たので、それらについて報告したい。この海軍大学臣
には米国 OCF(Offi’cers Christian Fellowship)のカ1)フォルエア代
表である Cal. R. Dunlap 海軍少佐が海洋工学教室の助教授として在職中で
あり、大学院側の私に対する世話役という事になったので、種々の点で便宜をは
かって頂くことになり,大変お世話になった。出発に先立って Dunlap氏から
通知があり、出張の時には彼の家に宿泊するように又、家内も同伴で来るように
との事であったので、万事不案内の土地の事故,すべてお申出のようにすること
にした。 Dunlap氏は昨年四月長い闘病の後の奥様に先立たれ、 1 2才と1 4才
の二人の男の子と共に住んでおられた。時々ヒューストンに住んでおられる老令
の母親が世話に来ておられたようである。
(2)クリスチャンホーム
学校に勤務する父親と子供二人の所-私が家内と共に住込んだのだから,自然-3
家内が家事を適当する形となった。朝食は非常に簡単で夫々にすませて学校-行
くので世話はかからない。子供達が学校から帰るのは午后四時頃だったが今迄の
習横で自由に間食をするらしく、夕食にはあまり食欲を示さないので夕食のこん
立には苦労したようである。こんな状態の中でも食前の祈りは勿論、食後一日お
きではあったが聖書を学び祈る時が持たれた。子供達は毎週日曜学校で暗唱聖旬
があるというのでその聖句を少しづつ暗唱するのが食後の日課であった。形式と
言えば形式的であるが、形式も律法も我々の日常生活に必要な場合が多い。子供
達は日常なまけて暗記しなかった聖句は日曜日朝教会-行く自動車の中で互に唱
えながら憶えてしまう。一番記憶能力の高まる年頃なのだから当然と言えば当然
なのだが、それを毎日きまって少しづつ憶える所にクリスチャン生活としての意
味があるのかも知れない。
子供達は我々の言う事はあまり開かないが父親の言う事には従僻に従う。経済
はすべて父親がにぎっているので生殺与奪の権を持っている感じであるが、それ
と共に非常に子供を可愛がる。精神的に愛するというのではなく、スキンシップ
を通して可愛がる。これは子供にとって非常に影響が良いように思われた。子供
にとって父親はこわい存在であると共に非常に頼りになる存在のようである。金
曜日の朝上の子供は朝7時頃家を出る。友達の親が車で迎えに来て学校で早天祈
再会をすると言うことであった。それ以外は一日中普通の家庭と少しも変ってい
ない。しかし若しこの家庭に新しい母親が来るとしたら、その母親もクリスチャ
ンでなかったら一日も勤まらないであろうと思われた。
(3)ホームパーティ
聖書研究の家庭集会を含めてよく集まりがある。特に Dunlap氏はOCFの
カリフォルニア代表というので色々な集会に出かけ、家庭集会に招き布かれる機
会が多い。こちらはいつも Dunlap氏の影のようについて回り,時には小型乗
用車を運転してDunlap氏の代理までつとめる事がある。言葉は通じなくても
出席するだけで励ましになるのだと言われると出ないわけにいかない。クリスチ
ャンホームが多いので三つか四つの家庭が集まれば十人位の研究会は直ぐに出来
る。その時与えられた聖書の箇所について話し合うわけであるが、最後の結論は-4
出さない事にしているとの話であった。各家庭によって多少信仰が異なるかも知
れないので、同一の結論に持って行くという事よりも聖書のみ言葉から何を学ぶ
かという事が目的のようであった。聖研のあとで菓子と飲物とが出るわけである
が、その時の話題が自由で色々の話となるが,不思議に人の話題は出ないので話
が深くもならないし長くもならない。
アメリカ人はよく食事に据待する習慣があるので未信者の人の家に溶かれる機
会も多い。その時その家の主人は客に奉仕をするのが仕事であり、客はその場の
空気を楽しく保っていく責任を持っているようである。この時話題がなくならな
いように色々気を使う事になる。クリスチャンの集会の場合には気を使わず何で
もしゃべれたのが、未信者の多い場合には色々考えてしゃべらなくてはならない。
しかし大-ん気さくな人達が多いのでホームパーティに招かれるのは楽しいも
のであった。
(4)旅 行
.折角アメ])カまで来たのだから少し旅行をしたいと思っていたが結局自家用車
で四回、ノミスで一回旅行することになった。アメリカでのノミス旅行は厄介なこと
もあるが、また適当にスリルもあって旅行をしたという気がする。丁度イースタ
ーの季節にフレスノからロスアンゼルスおよびサンディゴに旅行する事になった。
フレスノには知人が居たのでそこのお世話になったが、ロスアンゼルスとサンデ
ィゴには Dunlap氏がそれらの地のOCFの会員に電話して下さったので、そ
れらの人達のお世話になることになった。 /;スは乗客の数によって増発や合併を
するので、配車に手間どると時間が遅れてしまう。途中の乗継ぎ駅で一寸の事で
間に合わず2時間程得たされるはめになった。乗客は一応不平そうであったが皆
あきらめた様子。それでも一時間くらいしたら臨時便が出るというのでそれに乗
って何とか目的地に達する事が出来た。帰りは夜行バスを利用したが、大都会の
夜のバス駅というのは何となくスリルがある。あらゆる人種が右往左往している
という感じで乗車するまで1時間位の待時間は緊張がとけない。ノミスが動き出し
てほっとした感じであった。ロスアンゼルスでお世話になった人は元海軍中佐で
退役後、福祉救済伝道団の事務長をしている人で、この人の家に一泊、伝道団の-5
ゲスト-ウスに一泊させてもらい、何回か伝道団で食事をする機会があった。現
在のアメリカは不況の影響がはっきり出ているらしく、以前この伝道団の世話に
なる人は殆どが老人だったが現在は老人は六割で四割は失職した人や子供を含め
たその家族との話であった。ここでは毎日3000人分の食事と700人分の宿
●
泊の世話をしているという事であった。しかしここに働いている人達は皆大変親
切で労をおしまないで世話をして下さるのでキリスト教周の一断面を見せられた
ような気がした。自家用車による旅行は、一度は日曜日礼拝後家族全員でM。n
tereyを出発約1 5 0マイル離れた空軍基地にあるSteelさん.の家を訪問したo
この人は一昨年まで日本に滞在ocFの代表をしていた方で訪問を大変喜んで
下さった。二度目は近くの日本人教会の牧師ど一家と共に約1 8 0マイル離れた
フレスノ市の合同集会に出席した時で、これは土曜日の朝出発して夕方帰って来
た。第三回目は海軍大学院の担当教授と共にカリフオル-ヤの砂漠の中にある研
究所を見学した事で片道3 00マイル近い距離を往復三日の旅で、 6 0才近い教
授が全行程運転したのには恐縮した。第四回目はこちらも負けられないというの
で家内と共に小型乗用車で片道1 50マイルのヨセミテ国立公園を往復した事で
ある。やはり乗せてもらうのと自分で運転するのとでは大分様子が違う。しかし
大部分は農業地域か牧蓄地帯なので交通量が少なく都市の近くの交通量の多い地
帯をのぞいては意外と快的なドライブを楽しむことが出来た。
(5)イースター
イースターの季節には教会では色々な集会が催される。木曜日にはロスアンゼ
ルスで大きな教会の聖さん式に出席した。 8人位づつ車座になって長老らしい人
が祈りながら聖さんをさづける。このような席が6ヶ所位前の方に設けられてい
て会衆は願次その席に行く20 0 0人位の人が聖さんを受けるのに2時間近くか
かった。金曜日には Good Friday の礼拝式があった。午前中はロスアンゼ
ルスの同じ教会で式に出席、午後サンディゴに移動したので、夕方の礼拝にはこ
ちらの教会に出る事になった。こちらでは少し趣向が変わっていて受難のみ言葉
を音楽で綴り合せたような形式であった。マタイ受難曲を更に近代的に解説する
という形でこの時期の伝道の手段としても画期的な秀れたものと思われた。一日-6
おいて日曜日はイースターで教会も満員で遅く行ったら入れないのではないかと
心配になった。盛装している人が目についた。礼拝後は教会のまわりで写真をと
ったり、ぶらぶらしたりという事であった。食事はレストラ了に行こうという事
になったが、レストランはどこも満員で今日は予約が無くてはだめだという所も
あり、やっと船上レストランを見つける事が出来た。サンディゴのイ-ス.クーは
静かなお条という感じで衝には特に変わった点はないように思われた.(綿こつづく)
畿 日本基牧師団の防大来訪
今年1月大磯アカデミー・-ウスで日基の牧師研修会が行れた帰路、 30日約
20名の牧師の方々が、横須賀を訪れ、米海軍基地,海自基地を見学された。そ
の足で午后、防大を訪問されたが、引率は、横須賀小川町教会の牧師小林利夫先
生で、先ず防大紹介の映画を御覧頂いた後、教室、学生舎学生会館や運動場を 見て頂いた。そのあとキリスト者学生3名を含め、様々の質疑応答があり、先生 方は予定時刻をかなり過ぎるまで、熱心に色-・kのことをお尋ねになられた。それ から数日後ー小林先生から,次のようなお便りを頂いた。 「主の御名を讃美します。先日は土曜日にも拘らず多勢で参上し大変お世 話様になりました。参加した先生方も防大にたいして新しい認識を持つ ことが出来たかと思います。此の度の御懇切を心より感謝申し上げます。 今井先生は 渡米なきったかと存じます。主の平安をお祈りします。三 名の生徒諸君にもよろしくお伝え下さい。祝福を祈りますoJ 牧師の先生方を、しかも略全日本にまたがる各教区から, 20名もの方々を防 大にお迎えし、しかも本当に熱心に見学をして頂いたことを、私共は心から先生 方に感謝申上げると共に、主の御導きに無限の感謝を捧げる次第である。 (今村和男 防大) 畿 AAtCFアジア大会の御招待 1983年2月のAMCF(Association of A(ilitary Christian Fellowship )アジア大会は台湾の台北を会場として一週間下記によって催さ-7 れます。その招待状が来ていますので、出席ご希望の方は事務局までど連絡下さ い。 期 間: 開催場所: フ~ - マ: 費 用: 申込期間: 日 程: 畿 AMCFアフt)カ大会-の協力 記 1983年(昭58年)2月21.日~2月27日 台北市、 Cathay生命保険教育センター キリスト者軍人について 大会中の全費用は台湾AMC F負鐘 1982年7月末 午前 佻�ィ耳ホ2 夜 21(月) 亅リヌメ 丶ィ檠~yG 22(畑 23㈱ 246柑 丿 ⅸ橙 ラX�橙 :)�橙 _ ル 橙 市内見学 �h7ネ ク5h8x92
25(金) 26(±出 � 豫�委R
27(日)- �r闔ィ耳耳耳ィHスX橙x イ
(幹事)
本年11月23日から29日まで一週間ア71)カ、ケ-ヤのナイロビで開催さ
れるAMCFアフt)カ大会について、その代表世話役であるG.Skippage氏か
ら協力依頼の手紙が参りました。それによると、この大会は前の世界大会(英国
Swanwiek )以来計画されたアフリカに於て独自に行なわれる第-回の地区大
会です。アフリカには大きな国がないので,その主催には色々な困難がありまし
たが、計画では150人乃至200人集める予定で今アフリカの1 9ヶ国の人達
を対象としている由です。
・開催のためには国内事情等種々の問題はあるが,一番問題なのは集会のための-8
生活費は何とかなるが交通量を出せない人達が多いという経済閉塞で、そのため
ヨーロッパ、アメ1)カ、アジア等各地からの協力を得て推進をしそいるという状
態で,アジア及びオーストラリヤ地区から約100万円(2000ポンド)の献
金を期待しているということです。しかしそれに拘梶せずに何か良いアドバイス
があったら教えてくれという事でした。この状況に対しコルネリオ会としても協
力援助したいと思います。主にある者として世界をながめる時.平和目標につい
て福音のために努力しているアフリカの経済的後進の国々からの協力依頼を無視
すべきではなく、出来るだけの協力をする事が会運営の趣旨にも合致するものと
考え、ここに特別献金を募集してアフリカ大会事務局に贈る事になりましたので.
下記によって何卒献金お願い致します。
記
(1)名 称: アフリカ大会援助献金
(2)あて先: コルネリオ会。振替東京3-87577
(3)金 飯: 一口 3,000円
(4)期 限: 8月末日
(5)会員以外の方からでもと送付下されば感謝です。
* コルネリオ会役員会
6月4日(金) 1 8 : 30から東京新宿区下落合の新屋徳治師(日本聖書神学
校長)宅に於て役員会を開催した。長い間役員会の場所を物色して来たが,今回
L 新屋先生(海兵7 0期)のど好意によってお宅で開くことが出来感謝です。以後
毎月定期的に開催の予定です。
当日の打合せ事項はつぎのとおり。
(1)役員会は毎月定期に開き, Pray 皮 planの形式をとる。即ち打合せた事項
についてはその都度祈り合って主のお導きを待つ。
又各埠で定期集会を持つ。先づ東京地区の在職隊員間で連絡を密にして集ま
る。各支部の集会を促進する。続いてOB会員との連絡を保つ。日米合同集会
も推進させる。-9
(2)明年2月台湾で行なわれるAMCFアジア大会に会員を送るよう斡旋する。
(3)本年十一月ケニアのナイロビで行なわれるAMCFアフリカ大会に協力する。
そのために特別献金をする。
(4)前年度の会計報告を蔑認する。
(5)ニュースレターを促進する。
(6)会員名簿の整備につとめる。
(出席者)
今井健次兄(会長・広報) 滝口厳太郎兄(書記)
以 上
志賀正吾兄(会計) 堀内侯礎兄(渉外) 滝原 樽見
需 通 信
o 藤原 樽 見 (在米・陸2佐)
あと二ケ月余りで帝国いたします。元気で頑張っております。 OCFのメンバ
ー数人とも親しく楽しくやっております。皆様によろしく。 (Carlisle, PA.
より 4月4日)
o 矢田部稔兄 (陸1佐)
富士学校総研部二重に転勤。松戸市小金の住所には週末お帰りの様子です。
o 玉井佐源太兄 (陸1尉)
第305保安中隊(仙台藍とん地)に転勤されました。 「あわただしく去って
参り失礼致しました。短い期間のはずですので元気にやります」とお便りありま
した。
o 米浜弘明兄 (陸1尉)
このたび3月1 6日付で中隊長を離任致し富士学校幹部特修課程-入校するこ
とになりました。昨夏来,本当に短時日ながら陸幕指令夜間戦闘射隼、持続走、-10
銃剣道、餅つき,各種戦按競技会、中隊検閲ー予備自衛官招集訓練、体験入隊受
入、部外作業等想い出多く充実した日々を尚武の地,薩摩で過ごすことができま
した。この間公私に亘りお力添え賜りただ感謝あるのみです。どうぞ今後とも宜
しくお願い申上げます。 —-」 とお便りありました。
書 コルネリオ会1981年度(昭56)会計報告(1月~12月)
項目 仞 ァ「 摘要
収入の部
前年度から繰越 �sづS R i芸買##芸196:;;.0: 預金利子
献金 雑収入 計 �c テ Bテs B CC2テ# �
支出の部
会計 役員
ニュースレター費 �SBテ #�i##B:7.::梢#::I,.3.00. 1芸:.occFU664,’::.0
通信費 �bテ##
献金 諸集会費 その他 � づ3 s テ テCSR
次年度-繰越 計 都Bテ# R CC2テ# �-~11
献金者(原不同、敬称略)
吉 江 誠 一
井 上 淑
望 月 錦 吾
横 山 一 郎
武 宮 啓 夫
森 田 忠 信
千 葉 愛 爾
足 立 贋二郎
新 屋 徳 治
勝 山 昌 之
岡 村 紀 子
中 城 忠 彦
小 林 邦 治
越 田 久 一
下 乗 谷 清
武 谷 三 郎
小 森 弗 治
滝 口 厳太郎 山 下 貴 久
山 口 利 勝 大 橋 忠 造
浜松ホ-リネス教会 岡 林 靖 之
椎 名 良 三
林 田 芳~ 秋
市 川 武 功
今 井 健 次
藤 原 道 明
村 松 来多郎
玉 井 佐源太
津 田 洋 二
藤 田 勝 男
滝 原 博
安 永 稔
今 村 和 男
藤 田 淳 江
藤 原 正 明
有 本 優
瀬 崎 肇
峯 崎 康 忠
山 中 朋二郎
央田部 稔
清 水 善 治
松 山 暁 賢
米 浜 弘 明
藤 田 喜 敬
三 上 賢 一
武 田 真 美
戸 嶋 成 忠
塩 月 安 郎(以上50名)
コルネリオ会(J OCIJ)
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事務局
横須賀市走水-丁目 防衛大学校応物教室
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く発行責任者 今 井 健 次 )
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